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無から生み出す底力~《人境両俱奪》

先月のように、今月も4部作。
今日は3回目です。

今日はちょっと
『コロナ』
とつなげてみました。

前回の
【奪人不奪境】
【奪境不奪人】
もどうぞ。

今日の禅語。

【人境両俱奪】
(にんきょうぐだつ)

自分も他人も無い状態。
自我もなく、他を気にする事も無い。
自分の事も他人の事も気にしない。

暗闇のろうそく

「気にしている」という事は、そこにあると思っているから。
だから「気にしない」というのも同じようになってしまうのだけれど。

ややこしいから、一般的に当てはめていきます。

自我を手放し、他者を手放す。
何が残るのかというと、何も残らないようにも思います。

あるのは「無」だけ。

なんとなく、冷たいような。
静かだけど、張りつめたような。

でも多分、張りつめも冷たさも無いのでしょう。

【奪人不奪境】
で、自分をなくし、何かに委ねる。

【奪境不奪人】
で、自分を優先する。

という事が書かれていました。

その次は、何も無い状態を味わう感じです。

自分も他人も無い。
従うものも無ければ、道しるべも無い。
目的も、欲望も無い。

何も無ければ話になりませんので、私なりの見解をお伝えします。

自分の意見も他人の意見も無い。

でも、現実的に当てはめれば、
「無い」
という事は、一体化しているという事に近い気がします。

融合しているから「無い」と感じる。
溶けあっているから、見えないし気付かない。

陳腐な例えですが、
コーヒーにフレッシュを入れた時、
かき混ぜる前は、
黒いコーヒーの中に白い線となって、
フレッシュの存在が「有る」

でも、かき混ぜたら、一体化して、コーヒーもフレッシュも同じとなる。
どこにもフレッシュの存在を感じないけど、確かにある。

って感じかな(;^ω^)
何かに例えようがない状態なので、難しいけど(-_-;)

コーヒー

本当の「禅」の見解とは違いますよ。

あくまでも、
私なりに一般的に考えた上での、
より良い毎日を暮らすためのヒントです。

存在が無い…

というよりも、
あまりにも当たり前すぎて、有ると思えないようなイメージ。

自我も、他人の意見も、関係ない。
当たり前に皆が受け入れている状態。

意見が無いので、変化も無いけど、
当たり前にある状態。

そんな状態って、当たり前すぎてきっと何も感じない。

でも、コロナでの自粛期間では。
当たり前が崩れている。
今まで当たり前にあった日常が、当たり前でなくなっている。

そして、当たり前に過ごせていた何の変哲もない日常が、大切だったと気づく。

無くなってから初めて気づくという、よくある話です。

自分の意見も他人の意見も関係ない。

ただただ、未知のウイルスに適応するにはどうすれば良いかを、
皆で考えている状態。

これは、

【人境両俱奪】

に値する状況ともいえるのではないでしょうか。

「無」を味わう。
「無」を知って初めて、大切なものに気付く。

「当たり前」を「有難い」と気づくのです。

でも、コロナの現状にも何となく慣れてきて。
当たり前の日常でない状態が当たり前になっていく。

一度すべてを奪われてみると。
「無」からのスタートです。

「無」を与えられた今、自分に何ができるのか。
自分とは何者なのか。

しっかりと考える事ができる機会だと思います。

黒にカラフルな眼

「無」から出てきたものは、本当の自分が導き出したもの。
自分でも他人でもない状態から出てきたもの。

底力が試されているのかもしれません。
休むことや手放すことが試されているのかもしれません。

何かはわからないけど、
それぞれの人がそれぞれの山を乗り越えるしかない状態。

「無」を嘆くのか。
「無」を歓迎するのかは、自分次第

嘆くだけ嘆いたら、また新しい「当たり前」を作れば良いだけ。
少しでも、自分の人生のプラスの何かにつながるように。

それは自分にしかできません。

少しだけ、「無」に委ねてみても良いのかもしれませんね。

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