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4回目、最後の調停

前回の3回目の調停で突如決まった親権変更の確定から2週間後、私は千葉県内の家裁出張所に居た。

突如決まった親権変更の確定と、突如現れた裁判官によって

『今回(3回目の調停)決まった話が反故されないように早めに審判しましょう!そうしましょう!ということで!東京家裁以外で行ける範囲の家裁のリストアップしてきましたよね!書記くん、チェックしてきて!!最短でいつ出来るか全部チェックしてきて!!」

と、せっかち裁判官は最後の最後までせっかちさんだった。

そして決まったのが11月11日。ポッキーの日。

奇しくも4年前のポッキーの日に私は親権を失い、4年経った2020年のポッキーの日に親権を取り返すという奇跡を起こしていた。

11月11日の呪いとして我が家で語り継いでみようかしら(ヤメぃ)


審判の日

当日の私は実に余裕ぶっこいていた。
調停に対してのみ余裕ぶっこいていた。

それよりも、親権が確定したことによって、子供たちの転校&転入手続きやら、引き取り日前日の役所回りの分刻みスケジュールを設定するので忙しく、調停にドキドキしてる暇もなかった。


審判は、裁判官が介入してお互いの意向をできるだけ平等な形でまとめ、それを【調停調書】というものにまとめ上げる場である。

調停調書は公正証書と同じ効力もあるため、
今回取りまとめた約束事はお互いしっかり守りましょうね!守んないとまたモメますよ?!心して守りやがれ!!この調書が目に入らぬか!!

という水戸黄門の印籠よろしくな効果を秘めている。

今回、調書を取りまとめる際に私の場合はどちらかと言うと相手の意向を如何にこちらの生活ペースを乱さないものに抑えるか、というスタンスで挑んだのでマグロ並みの受け身状態で参戦。私から『こうしましょう』という提案はしないと決めていた。


11月11日、ポッキーの日の午後。
お初に訪れる千葉家裁の個室で今か今かと結局ソワソワする豆腐(私)。

すると定刻通りに電話が鳴り出した。

電話に出ると、前回の後半同様、相手方も同席している旨を伝えられ、いざ審判開始!

前回の調停時に決めた、親権者変更を裁判所が認めた内容を簡単に振り返り、相手方に親権を渡す際の取り決めを述べるよう促した。

相手方が出した条件は

・子供たちが新天地で不安にならないよう、連絡はこまめに欲しい
(子供たち次第だな)
・学校の行事毎に写真を送ってこい
(まぁ、うん。わかった)
・亀を引き取れ
(は?)

だった。
・・・亀?マジか、コイツ( ゚Д゚)

さすがの裁判官も『え、亀?』って笑ってんじゃねーか。
調査官に至っては『何亀ですか?大きいの?』とか心配してんじゃん。

ただのアカミミガメだよ!!!!
息子①が小さい時にうちの母親が買ってきた御年10歳、手のひらサイズのアカミミガメだよ!!!

相手方が口に出したもんだから、そこから『亀って空輸できるのかな?調べてきました?』『死んじゃわない?』とか電話の向こうがワイワイし始め、審判一時中断。

最 初 か ら 調 べ て こ い ! ! ! ! 

結局、亀は送るのに面倒なので、裁判官から『亀はお父さんがお世話してください』と言われて亀問題は終わった。何この無駄な時間。

たぶん裁判官も、鬼のような法律の勉強と試験を経て法曹界に入ったのに『亀はお父さんが』とかいう日が来るとはきっと1ミリも思わなかっただろう。


亀問題に余計な時間を取られてしまったが、相手方が出してきた条件は『こんなもんでいいのか?』と思うほど簡素なものばかりだった。

電話連絡に関しては相手方が『週に1回くらい』と申し出たものの、裁判官が『いや、それはちょっと今回のケースではどうでしょう・・・子供たちの意見も聞けないので、【最低月1回】と表記するに留めます』と、子供たちの負担が減る方向で収めてくれた。

この時点になってもまだ相手方と子供たち・私・裁判所との虐待認識がズレッズレだと明らかになってため息しか出ない。

裁判官から私には

「最低でもこの期間(4~5か月)は月1回連絡するように、申立人から子供たちに促してくださいね。」

と言われ、了承した。

私としては面会に関して何か話が出るかも・・・と構えていたが、相手方は面会については何も触れずに終わった。

自分から面会をする気がないんだな。

飛行機に乗らないと会えない子供とは積極的に会う気がないんだろう。

そういう風に感じた。自分の負担になりそうな事はしない。なんだか薄情だ。まぁそれが元夫らしくて、相変わらずだとも思う。


そんな簡素な調停調書を裁判官がマッハでPCに打ち込む音を聞きながら、これで親権変更バトルが終わるんだなぁと、しみじみ思っていた。

それよりも私は翌日の学校との面談と、翌々日の地元での役所回りのハードスケジュールに気がいって、さほど感慨深くなれなかった。

どちらかと言うと、3回目の『裁判所は申立人に親権確定しました』のほうがテンション爆上がりだった。


最後に裁判官が出来上がった調書を読み上げ、調停成立という形でこの親権変更の調停が終了した。

なんともアッサリとした終わり方に感じた。そんなものだろうか。

監護陳述書の作成にアドレナリン大放出し、家裁の報告書をソワソワして待ち、いざ届くとツッコミ必須で読んだ日々が懐かしい・・・。


その後、チャラい書記官から今後の手続きの流れを説明され、私は千葉家裁から帰路についた。


今日の所要時間、40分。

亀談義がなければ30分。

今年の4月末から始まった(私の中で)壮絶な戦いは、半年の時間を掛けてようやく幕を閉じた。

あとは引き渡し日にちゃんと子供たちを引き取れるか。それだけである。

まぁその為にパートナーのトトさんもトラブル対処要因として同行してくれるんだけども。



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今回で調停に関する記録は終了です。

フォローして読んでくださった方、

通りすがりに読んでくださった方、

最後までお読み頂きありがとうございました。

マガジン【ただいま親権者変更の調停中】には、次回予定の子供たち引き取りの話までを載せて一旦更新は終了します。

あまり為にならないディス率高めの記事ばかりでしたが、これから調停でもいっちょやってやろうか!家裁に調停で呼び出されたんだが!っていう方に少しでも調停の雰囲気が伝わればいいな~・・・いい、なぁ~~!?と思って書きました。あ、伝わらなかったですか。

ではでは、次回の更新までもうしばらくお付き合いよろしくお願いします!




借金地獄に仏!生きる活力になります!