られたされた女

初めて恋をした日に読む話というドラマ(漫画)に
「られたされた女」という言葉が出てきます。
「~された」「~られた」
暗に私のせいじゃない、と言って
相手に責任転嫁している女です。
もちろん世の中にはそういう男性だって居ますが
作品中には女の子がそういうキャラです。

そんな人、ほとんどいないだろうと思っていたのですが、
1人だけ居ました。
仕事中にその人に
以前私のせいにされた事があって、
面倒だなぁって思ってたんですが、
その後別件でその人が外食した際
ドアに手を挟んだらしいのですが
「店員にドアで”挟まれた”」と言ったのです。
確かに被害者なので「挟まれた」という言い方は正しいですが
この話を聞いたのは世間話中の会話ではなく
ドアで手を挟んだという事実だけが必要な場での事
(「その手どうしたの(仕事に支障をきたす)」
 「挟まれたの!」は違うでしょ?)。
自分のせいか相手のせいかなんてどうでもいいのですが
自分は被害者である事を無意識に言っているのは
心の奥底で
「自分はかわいそう。労わってほしい」
という構ってちゃんから来るものなのだな、と分析して聞いていました。

作中では女子高生がられたされた女なので
「そう言わないと(思わないと)
自分を保てなかったんだね」
と大人にその心を守ってもらうのですが、
40歳も過ぎた人がられたされた女のままなのは
人として心配になります。なりました。
今でも自己をそのようにしか保てないのは
周りに良い人がいなかったからなのかなって。
かくいう私も恵まれた環境下にはいませんでしたから、
そのまま恵まれない人間関係に晒されていたらと思うとゾッとします。

られたされた女は昔から言われている言葉に置き換えると
「悲劇のヒロイン(気取り)」
かなと思います。
それって思春期にありがちですよね。
若くても、聡明で達観した人には見受けられませんが
よく聞く言葉であるということは
そういう人がよく居るということ。
それは、成長過程で大事な事なんじゃないかと
今では思うので、良いと思うんです。
私もよく母親に言われて、非難されていましたし。
そういう感情を経て、
それが子どもだったなと理解するから
大人になるのだろうし、
そうやって自分を知ることで
相手を知る事もできるものかなって私は思います。

られたされた女というものが
自己から消えるには
自分を守ってくれる誰かが必要なのかもしれません。
それは、あなたかもしれないし
誰でもないのかもしれません。
だって殆どの人は年を重ねる毎に
誰かが一時的にでも愛してくれて
構ってくれて、守ってくれる経験を積むでしょう。
恋人だったり、親友だったり、上司だったり、同僚だったり。
人から愛されていると感じられるものです。
40歳を過ぎてもられたされた女のままの人は
「愛されて・構ってくれて・守ってくれて、当たり前」
だと思っていて、
愛されている事に気づけないのが1つの理由と思います。

私自身、これから何十年と生きていく中で
大切にされている事に気づいて、
相手のことも大切にしたい。
そんな風に改めて考えられたのも、
られたされた女に出会えたから。
すべてを大切に。
視点の配置換えも、大切に。

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