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ウマ娘で学ぶ競馬史 #18 沈黙をこえて(1998)

みなさん、ウマ娘やってます?

僕は秋華賞と菊花賞で負けました。(ウマ娘とは)

それにしても、あれだけ人気してたソダシが3着にすら入らないなんて。改めて「競馬に絶対はない」を思い知りましたね。

もしも○○だったら。そんなたらればは競馬につきものですが、中でも最も多く語られてきたであろうたらればが、今回紹介するレースです。


日本競馬の未来を変えてしまった一戦。
儚き逃亡者と、それに運命を狂わされた者達のお話。

↑前回

二冠

季節は本格的に秋に変わり、迎えた牝馬三冠路線最終戦、秋華賞

オークスでは距離不安から積極的なレースができずに敗北したファレノプシス。
ローズステークスを先行策で快勝し、距離に問題は無いことをしっかりと示す。

対してオークス勝ち馬エリモエクセルは体調面からかぶっつけで秋華賞に挑むことに。

そしてオークス2着馬でエアシャカールの姉、エアデジャヴーはトライアルのGIIIクイーンステークス(当時は紫苑ステークスみたいな立ち位置だった)を勝利。万全の状態で本番へ。

1番人気はエアデジャヴーと横山典弘
2番人気がファレノプシスと武豊
3番人気にエリモエクセルと的場均

完全に三強の戦いとなった秋華賞。
勝利を掴むのは…


最終コーナーを過ぎて2頭の一騎打ちになる。
ファレノプシスと、11番人気の伏兵、エガオヲミセテ

さすがはエアグルーヴの姪っ子。ゴール寸前まで熾烈なデッドヒートを繰り広げるも、さすがにファレノプシスには届かず後退。それでも4着としぶとくゴール。

1着はファレノプシス。横綱相撲だった。
2着狙いで突っ込んできた14番人気の伏兵ナリタルナパーク。少し遅れてエアデジャヴーがゴールイン。
エリモエクセルは前走から体重+12kgと絞り切れてなかった影響もあったのか、7着に敗れた。


二冠牝馬の称号を手にしたファレノプシス。
完全に力を出し切ってしまったため、年内は休養で翌年に備えた。



一方、牡馬は牡馬でアツかった。

京都大賞典
伝説の毎日王冠が行われた東京だったが、西の京でも伝説が生まれた。

その話をする前に、ちょっとした仕様について解説したい。


  • なぜセイウンスカイは京都大賞典に出たか

そもそも、京都大賞典は菊花賞のトライアルレースではない。天皇賞のステップレース(前哨戦)だ。


当時、菊花賞にはステップレースが3つあった。
セントライト記念
神戸新聞杯
そして
京都新聞杯

今の競馬から知った人にはめちゃくちゃ違和感ある並び。現在、京都新聞杯はダービーのちょっと前にあるレースになっていて、トライアルでも何でもないので勝ったからって優先出走権はもらえない。(勝ったらほぼダービー出られるくらいの賞金ではある)

さらに違和感なのだが、この頃は開催日の都合上、菊花賞が天皇賞(秋)より一週間後に開催されていた。


この頃の京都新聞杯はちゃんとした菊花賞トライアルだった。
ダービーの時期に開催されていたNHK杯(芝2000GII、トライアルではない)がNHKマイルカップに変わって、トライアルは青葉賞と京都4歳特別の2本構えだったのだが、2000年(エアシャカールの年)から菊花賞が今の時期に開催されるようになった。

その結果
京都の開催日がズレる→京都競馬場で菊花賞トライアルできなくなる→京都新聞杯がダービー直前にズレて京都4歳特別がなくなる

ということになった。

当時は、キングヘイローが神戸新聞杯で3着だったから京都新聞杯でも走らせて賞金を加算し(2着になった)、無理やり菊花賞に間に合わせる、といった事もできていた。


だったらなおさらセイウンスカイを京都大賞典に出した理由が不可解に思われるかもしれない。これにはちゃんとした理由がある。


まず、セイウンスカイは皐月賞を勝っている。3歳世代じゃトップクラスなので、何もしなくても菊花賞には出られる。つまり賞金を稼ぐ必要がない

そして距離の関係。
セントライト記念は中山2200m、京都新聞杯は京都2200m。神戸新聞杯は当時阪神2000mだった。
どれもこれも距離が短いし、前走は東京2400。しかも掛かって負けてる。
対して京都大賞典は京都2400m。天皇賞の前哨戦であるため歳上の有力馬と戦わないといけないリスクはあるが、菊花賞に一番近い条件で走れる。大敗したら天皇賞かそこらの中距離重賞に進めばいい。
セイウンスカイ陣営は恐らくそう考えていたのだと思う。



でも京都大賞典の出走メンバーがおっそろしく濃かった。

1番、皐月賞馬セイウンスカイ
2番、地方競馬からの来訪者スノーボンバー
3番、天皇賞馬メジロブライト
4番、GII3勝、春天3着のローゼンカバリー
5番、目黒記念勝ち馬、宝塚4着のゴーイングスズカ
6番、GI2着2回の迷馬ステイゴールド
7番、昨年3歳で京都大賞典と有馬記念を制した傑物、シルクジャスティス

GIだと言われても疑わないレベル。名馬が集いすぎて回避が相次ぎ、フルゲート18頭のところが7頭立て


4番人気に支持されたセイウンスカイ。GI馬と実質GI馬(ステゴ)の中では最も評価が低かったのだが…



まさかの大逃げ
距離不安を考えて折り合いを付けるため先行策に変えたり、ちょっとスローな逃げにしてみたりするのが普通の騎手だ。

しかし横山典弘は違う。馬の力を信じて後続を大きく引き離すと、中盤で一気にペースを落とし、最後に末脚で粘る。
サイレンススズカの走りに感化されたのだろうか。

中長距離で比類なき強さを発揮していたはずのメジロブライトの末脚が不発に終わる。

3歳で京都大賞典制覇。GI馬たちを完膚なきまでに叩き潰しての勝利だった。




菊花賞
それでもスペシャルウィークが圧倒的人気。ダービーで5馬身差完勝したインパクトは圧倒的だった。


まさか誰も、この馬が京都大賞典以上のレースを見せ付けてくるとは思うまい。

大逃げ。それは前走と変わらない。
しかし、1000mの通過タイムが59秒6だと告げる実況。どよめく観客。騎手たちもそれに気が付き、後ろの有力馬たちは一斉に脚を溜める。

その後、先頭のペースも落ちていることを知らずに。


3コーナー手前でもセイウンスカイは余裕の手応え。
1000m〜2000mの通過タイムを64秒3に落とす奇策。
ずっと大逃げを続けていると思い込んでいる後ろの騎手たち。対して、楽に休憩しながら走れているセイウンスカイ。誰もこのトリックに気付かず直線へ。


もちろんセイウンスカイは余裕の表情で粘る。

2番手エモシオンは先頭まで4〜5馬身。届きそうもない。
キングヘイローも3000mではいつもの末脚は出せず。
大外からスペシャルウィークとメジロランバートが馬体を併せて猛追してくるが2、3着争い。


3:03:2芝3000m世界レコード


ホクトベガを亡くし、サクラローレルに別れを告げ、悲しみに暮れていた彼はもういない。
ここに奇術師・横山典弘が誕生したのだった。



沈黙の日曜日

伝説の菊花賞から遡って1週間前の日曜日。

天皇賞(秋)

圧倒的1番人気が満を持してターフに立った。

サイレンススズカ

過去最高の絶好調で迎えたこのレース。
競馬関係者は熱視線を注いでいた。

ここで勝てればJC、そして海外遠征が待っている。
向かうはアメリカ。海外の競馬関係者も種牡馬としての彼の価値を認め、アメリカで種牡馬入りさせてほしいというオファーすらあった。


単勝1.2倍の圧倒的1番人気。

しかし、秋の天皇賞には魔物が住んでいる


8年前。連戦に疲れ果て生涯初の掲示板外を経験したオグリキャップ。

7年前。圧倒的1番人気で1位入線したものの、降着となったメジロマックイーン。武豊としてはトラウマものの悲劇だった。

6年前。ダイタクヘリオスとメジロパーマーの殺人的ハイペースに巻き込まれたトウカイテイオー。

4年前。骨折により初めて連対を外したビワハヤヒデ。これが最後のレースとなった。

3年前。故障を経て前の走りに戻らなくなったナリタブライアン。

2年前。脚を余したまま3着に敗れたサクラローレル。

他にもライスシャワー、バブルガムフェロー、ミホシンザン、シンボリルドルフ、トウショウボーイなど、「1番人気になった馬は勝てない」という謎のジンクスがあった。


2000mになってから14年が経過したというのに、1番人気で秋天を勝てたのはミスターシービーとニッポーテイオーのみ。しかもシービーより前は65年のシンザン以降は全員負けてるという、呪われてるのかとすら思ってしまう成績だった。


しかし、サイレンススズカなら…

枠入りが完了し、レースがはじまる。

相も変わらず圧倒的スピードで後続を引き離すスズカ。
1000mを57秒6

現在の馬場でもなかなか出てこない超超ハイペース。このまま行けば間違いなくレコードタイム。

大けやきの向こう側、沈み込むような姿勢で加速するサイレンススズカ。


カメラが後続を大きく引き離した彼らを写した、その時だった。

ガクッと体勢を崩し、そして減速するスズカ。


それが意味するのは、絶望に他ならなかった。


万全の体調で挑んだ一戦。
万全すぎたからこそ、繰り出される圧倒的なスピードに身体が耐えられなかった。

急激に減速した影響でスズカは粉砕骨折。
鞍上の武豊を庇ってか、ギリギリで踏ん張った。
踏ん張らなければ武豊の命は無かった。
スズカの優しさがそうさせたのかもしれない。


どよめきで溢れる東京競馬場。
テレビはレースを写し続けるが、当然そんなものは頭に入ってこない。


電光掲示板に表示される6番の文字。
1着馬には誰も目を向けなかった。

超克の勇姿

オフサイドトラップ

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父 トニービン 母父 ホスピタリテイ

28戦7勝[7-8-5-8]

主な勝ち鞍 天皇賞(秋) 七夕賞 新潟記念

94世代

ナリタブライアン世代。7歳馬の悲願だった。


予後不良や行方不明となった馬を除いて「最も不運なGI馬」。私はそう思う。


この馬の半生を振り返る。
2歳でデビュー。3歳から本格化し、セントポーリア賞で後のオークス馬チョウカイキャロルを下す。
皐月賞トライアルの若葉Sで、世代2番手のエアダブリンを下し勝利。有力馬とされていたが、皐月賞、日本ダービー共に敗北。
ラジオたんぱ賞でヤシマソブリン、タイキブリザードらに敗れ4着となった後、屈腱炎を発症。


年末に一度復帰。何戦かしてついにオープン戦を勝利。勝ったタイトルは奇しくもスズカが覚醒するきっかけとなったバレンタインSだった。

しかしそこからまた屈腱炎を再発し、一年ほど復帰を見計らう。

2度目の復帰の頃には、もう1997年になろうとしていた。

素質は高いがあまりハードな調教を積めず、復帰後もオープン戦や重賞で2着3着が続く。
そのぶんレースにはポンポン出した。

そして復帰後初の掲示板外となったエプソムカップ後、またも屈腱炎が判明。

普通なら引退してもおかしくない状況だが、調教師は馬を信じ、復帰へ望みを繋いだ。


復帰したのは98年3月。オフサイドはもう7歳だ。

しかしオフサイドは年齢とブランクを感じさせないほど走ったが、あとひとつ決定力に欠ける。

エプソムカップ3着のあと、陣営は騎手を替えることに。ユキノビジンなどの主戦騎手、安田富男から、エルコンドルパサー、バブルガムフェローの蛯名正義に変更し、七夕賞へ。

今まで先行策で挑んで勝てていなかったところを、蛯名は差しの位置から挑み、ついに勝利を勝ち取った。

24戦目の重賞初勝利だった。


その後も蛯名の騎乗がうまくハマり、新潟記念で重賞2勝目。

陣営は4年振りのGI出走に焦点を合わせる。
天皇賞(秋)へ。


天皇賞(秋)では蛯名がステイゴールドに乗る予定だったので、度々オフサイドの勝利を阻んできた柴田善臣騎手に乗り替わりとなった。


レース本番、3コーナーでスズカが故障。
メジロブライト河内洋はスズカがその場に留まると踏んで外に出したが、スズカが外に向かって歩き出したため、大きく外を回らされる形になった。

その間隙を突いたのがオフサイド。

見事に先頭を駆け抜け、(おなじみ)2着ステイゴールドも振り切って、初のGI勝利を手にしたのだが…


レース結果はスズカばかりが取り上げられ、勝利ジョッキーインタビューで善臣さんが

「気分良く競馬できてこういう成績だから、笑いが止まらないって感じですね」

柴田善臣

とコメントしてしまい炎上。

この時点ではスズカが予後不良とは判明しておらず、「検量室ではヨッシャーと雄叫びをあげていましたが」という質問に対する回答だった。
インタビュー中でも何度かスズカを気遣うコメントはしている。

しかし、「笑いが止まらない」という言葉だけが独り歩きし、オフサイドトラップの評価ごと下げてしまうことに。


次走で実力を見せつけられたら良かったのだが、有馬記念で10着に敗れ種牡馬入り。
種付けする牝馬が集まらず、優秀な産駒は出せなかった。


屈腱炎を3度も乗り越えGI制覇。その果てがこの仕打ち。せめてウマ娘でフィーチャーされたらよかったのだが…


オフサイドトラップはエルコンドルパサーと同じ馬主のため、出そうと思えばウマ娘にも出せる。(許可取れてるから)

なのにモブウマ娘としても出てこないどころか、シナリオの都合上、最初からオフサイドトラップがいなかったことにされている。不憫だ。



そしてレース後。サイレンススズカは予後不良となり、その場でブルーシートが被せられ、安楽死処分が下された。


武豊はその日の夜、ベロベロに酔い潰れた。
泣きながらワインを鯨飲していたという。

付き添った福永祐一は「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と語り、豊自身も「泥酔したのはあの時が初めて」と述べている。

この時、豊は29歳。
経験豊富とはいえ、さすがに溺愛していた愛馬を亡くすとなると耐えきれなくて当然だ。



影響は競馬関係者に留まらなかった。

スズカの死がきっかけで競馬を止めた人もかなり大勢おり、馬券歴代最高売上を記録した97年から一転、98年は数百億円の下落。以降、売上の減少は2011年まで続いた。



悲しみが醒めやらぬ中、迎えた菊花賞。
本来なら乗り替わりも考えられたのだが、スペシャルウィーク調教師の白井師は、こんな時だからこそ武豊に乗らせることを決意した。

結果は2着だったが、力は証明できた。


沈黙のあと

しかし、菊花賞の一日前に豊は結構な騎乗ミスを犯してしまっていた。

アドマイヤベガの新馬戦だ。

2:10前後。明らかに後ろの馬に蓋をしてしまっている。元気な彼なら絶対しないようなミスだ。

これの影響で騎乗停止措置が執られた。
菊花賞は出られるものの、翌週から月末まで一切乗れなくなった。



エリザベス女王杯
エアグルーヴは横山典弘に乗り替わり、女王として他馬を迎え撃つ。
単勝1.4倍の圧倒的人気。しかし…

メジロドーベル、4度目の正直。

最後の最後、驚異的な末脚でエアグルーヴを抑えた。
牡馬がいなければ最強女王。GI4勝目を飾る。




ジャパンカップ
エルコンドルパサーは大きく翼を広げた。

サイレンススズカがこの世を去り、天敵がいなくなった現状。
調教師は馬主にこう尋ねた。

マイルチャンピオンシップとジャパンカップ、どちらに出ても勝てます。どちらがいいですか?

元より海外遠征を前提としていた馬。ここで海外馬と争っておきたいと、ジャパンカップ出走を決意。


未だ1600mでしかGIを勝ててないことから3番人気となっていたが、実力は折り紙付き。

2番人気エアグルーヴは横山典弘、1番人気スペシャルウィークは岡部幸雄が騎乗し、頂上決戦が始まった。



それは、完勝だった。
サイレンススズカが毎日王冠で見せたような、後続をバテさせてなお伸びる脚。次元が違った。
「もう国内の勝負付けは済んだ」として、有馬記念には出ず休養。翌年からの海外遠征に備えた。

もしもスズカが生きていたら。考えずにはいられない。




有馬記念
ここでようやく武豊が戦線復帰。
しかしスペシャルウィークはこれからのために休養。
このレースはエアグルーヴの引退戦となった。

1番人気は二冠馬セイウンスカイ、2番人気はエアグルーヴ
そしてメジロブライトグラスワンダーマチカネフクキタルメジロドーベルオフサイドトラップエモシオンキングヘイローステイゴールドと続いた。

一目で分かる豪華メンバー。

昨年までの勢力図が嘘のように、豪快に差し切ったのはこの馬。

グラスワンダー。
レース中とにかくエアグルーヴを徹底マークした的場均。そのまま終盤へもつれ込む。

流石のセイウンスカイもコーナーだらけ坂だらけ&内側の馬場が荒れまくった中山で外を走らせた結果、最後は伸びず。

エアグルーヴももう一つ伸びない。
いつも通りステイゴールドは伸びる。
そしてメジロブライトが最速の末脚で駆け抜けてくる。

しかし、既に刺客は先頭にいた。


1着グラスワンダー
2着メジロブライト
3着ステイゴールド

エルコンドルパサーとグラスワンダーどちらかを悩みに悩んで、グラスワンダーを選んだ的場騎手。
その選択が報われた瞬間だった。

マイルGIと有馬記念を制した馬は恐らくオグリキャップ以来。快挙であった。


ステゴは定位置。秋天2着、JC10着、有馬3着というムラっぷりで徐々にファンを増やして行った。


エアグルーヴは5着。
もしもサイレンススズカが生きていたら。
武豊が傷心せずに騎乗できていたら。
そう感じるレースだった。


これにてエアグルーヴは引退。
阪神3歳牝馬、桜花賞、秋華賞、JC、エリザベス女王杯…万全なら勝てたレースは山ほどあるのに不運に恵まれ勝ち切れなかったGI。

そういう不憫要素がウマ娘内の「エアグルーヴのやる気が下がった」に集約されているのだと思う。


引退したエアグルーヴは史上稀に見る名牝として次々と名馬を輩出し続けた。
間違いなく2040年くらいまでは彼女の血を継ぐ子孫が走り続けるだろうし、その後も期待していいかもしれない。

このシリーズでも何度も出てくることになる。
期待して待っていてほしい。

(アドマイヤグルーヴ編につづく)




スズカの影響は短距離路線にも及んだ。

マイルチャンピオンシップ
2番人気シーキングザパールが武豊から河内洋に乗り替わりとなる。タイキシャトルの勝利は不動のものだと思われたし、裏切らなかった。

この圧勝劇である。
マイルGIで5馬身差ってなかなか見ない数字。
先行で走ってるのに後ろから来た追込馬と同レベルの末脚を繰り出す怪物。


短距離GI3連覇を成し遂げ、これにて引退。
の、予定だった。


予定だったのだが、引退式をやるついでに仕方なくもう1戦することに。




スプリンターズステークス
このレース直後に引退式が行われることになっており、早くもタイキシャトルが勝つムードが流れていた。これには他馬の関係者は半ギレ。


しかしタイキシャトルはめちゃくちゃ太っていた。
というのも、「これから引退して種牡馬になるのに、引退前に無理させて怪我させたくない」という藤沢和雄調教師の考えから、とてもかる〜い調教だけで終わらせていたからである。

スズカのこともあり、余計慎重になったのかもしれない。

それでも勝てるだろうと期待され、単勝1.1倍の大人気に。

もちろん結果は…


え…?

7番人気の大波乱。中山に沈黙が走る。

愛の伏兵

マイネルラヴ

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父 シーキングザゴールド 母父 リィフォー

23戦5勝[5-4-1-13]

主な勝ち鞍
スプリンターズS セントウルS シルクロードS

98世代

この馬も実は素質馬だった。
武豊を鞍上にセントウルステークス(1400mGIII)を圧勝。マイルチャンピオンシップのトライアル、スワンステークス(GII)では1番人気に支持された。
だが、スワンSの日は秋天当日。
武豊がスズカを引きずり競馬どころじゃなかった頃。
ここで7着に敗れてしまい、7番人気となっていたのだ。

乗り替わったのはドーベル主戦の吉田豊騎手。
太め残りのタイキシャトルをきっちりと捉え、見事秋だけでGIを2勝した。


一方のタイキシャトル。
引退式直前の中山はお通夜ムードだった。

マイネルラヴどころかシーキングザパールにすら差されたことで、史上初にして最後の3着

シンザン以来の連対率100%の偉業はここで途絶え、1着で引退する前提で組まれていた引退式のプログラムが進んでいった。不憫。


しかし、引退後は外国産馬初の顕彰馬に選ばれたり、産駒もGI馬を出したりとそこそこ活躍。

種牡馬引退後はメイショウドトウと仲良く老後を過ごしていた。
ちなみにタイキシャトルの鼻息はいい匂いらしく(?)、色んな馬が嗅いでいる映像がYouTubeなどにアップされている。あと羊とかと仲が良かった。見ると和む。

なんだかんだで最強マイル馬の輝きは今も消えていない。
ここで藤沢師が積んだ経験が、グランアレグリアの大活躍にも繋がったのだった。



箒星

スズカの死から時を待たず、星が流れた。
やがて大きく光り輝く、希望の星。


天皇賞から1週間後。新馬戦を勝利。
中2週で1勝クラスへ。これも勝利。
そして1週間後。

阪神3歳牝馬ステークス

連闘で出走した馬がGIを勝つなんて、誰が想像しただろうか。


革命少女

スティンガー

ダウンロード (1)

父 サンデーサイレンス 母父 アファームド
甥 レッドファルクス

21戦7勝[7-0-3-11]

主な勝ち鞍 阪神3歳牝S 京王杯SC連覇 フローラS

99世代

しかも2馬身差。完勝である。
類を見ない偉業だった。

こちらも藤沢厩舎の馬。とにかく色んなことを試していた藤沢厩舎は、何を思ったかこのレースからぶっつけ本番で桜花賞に出走させることにした。
(まあ10着だったんですけど)

このローテはソダシが成功させてるので、時代が早すぎたとしか言えない。




一方、朝日杯でも注目の2歳馬が出揃った。


不屈の馬

アドマイヤコジーン

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父 コジーン 母父 ノーザンテースト

23戦6勝[6-3-2-12]

主な勝ち鞍 安田記念 朝日杯 GIII3勝

主な産駒 アストンマーチャン スノードラゴン

99世代

マチカネキンノホシ、ロサードなど後の重賞馬が走る中で、差のない2番人気エイシンキャメロンをクビ差で交わして勝利したアドマイヤコジーン。

もちろん皐月賞の有力候補となったのだが…


1月に脚を骨折。


しかし、懸命な努力と、サクラスターオーやテンポイントの遺したデータが彼の生命を繋いだ。
それどころか、競争能力も喪失しなかった。


がしかし、その後左脚も骨折。命に別状は無かったが、復帰までに数年を要してしまった。

そんな彼が不屈の馬と呼ばれるようになるまでの道のりは、かなり後に紹介することになる。時系列的に4年後。



そして、ラジオたんぱ杯3歳ステークス

織女星は輝いた。


宿世の織女星

アドマイヤベガ

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父 サンデーサイレンス 母 ベガ
全弟 アドマイヤボス 半弟 アドマイヤドン

8戦4勝[4-1-0-3]

主な勝ち鞍
日本ダービー 京都新聞杯 ラジオたんぱ杯3歳S

主な産駒
キストゥヘヴン ブルーメンブラット
アドマイヤフジ アルナスライン
テイエムドラゴン メルシーモンサン
母父としての主な産駒 ニホンピロアワーズ

99世代

双子として生まれ、「双子の競走馬は大成しない」という理由から弟が星になり、2頭分の想いを背負って走ることになったアドマイヤベガ。
ウマ娘でも触れられているし、育成シナリオに関してはほぼそれ主体で進む。


デビュー戦は思わぬ形で降着となったが、ラジオたんぱ杯では完勝。
世代の頂点はこの馬だ。そう思われていた。

彼が現れるまでは。

史上に残る名馬が去り、現れたのは最強をほしいままにする絶対王者。そして訪れた闇の時代。


そして、スズカがこの世を去り数ヶ月。
ようやく日常が戻り始めた競馬会。
武豊を支えたのは、もう一頭の最愛のパートナーだった。

あとがき

こうして書いてると、日本競馬は武豊と共にあるんだなって思いますね。
ほんと、偉大な人です。


未だにスズカさんの悲しみは消えないと語る豊さんですが、いつか全てを語ってくれる日を心待ちにしています。



そして、ここからは98世代後半戦&99世代。
そろそろ人智を超えたアイツが登場します。
高笑いでもしながらお待ちください。

それでは。




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