2024年3月13日 フリーライティング日記

毎日10分フリーライティングをしていきたい。その時間は書くことだけを考えるんだ。指を動かせ。最近フリーライティングについて書かれた本を読んでいた。ピーターエルボウの本だ。一章を読んだところでフリーライティング日記を書くといいよと書かれていたからやってみる。フリーライティングの肝は誤字や思考があっちこっちいくのを無視し、自己検閲した文章を書かないってことだ。編集をそこにいれないことが重要で、そうして何度もフリーライティングを繰り返すうちにその中にきらめく鉱石が発見されたりするようだ。コツコツと岩盤を叩くみたいに削りだしていくのは好きだからやっていく。何より制限時間が10分というのは自分に向いている。タイムアタックは好きだ。速いのは好きだ。限界まで速くなって、光よりも速くなって時を飛び越えたい。鳥山明が亡くなったので友達がけっこうショックを受けていた。そんなに好きだったんだなぁ。ドラゴンボールの漫画は読んだことはあったけれど、思い入れがそこまで強いわけではない。アニメも熱狂してみてた。ドラゴンボールGTの仲間を乗っ取る敵が怖かったのをよく覚えている。ベビーだったかな。あ、何も思い浮かばなくなった。ふざけるな、まだ五分ぐらいしかたっていないのに。noteの広告で流れていた早川書房の新人賞をとった小説が気になる。最近小説を読めていない。最近読んだ本は書くことの不純という角幡雄介という探検家のエッセイだった。探検やノンフィクションを書くことは不純がある。わざとより面白い方向に自分を追い込もうと思う。著者は死にそうになって川を渡ろうとしていたところで橋を発見して生き残るが(川を泳いで渡ればもっと面白かったのに)そう考えてしまったという。自分の中にいつも編集者がいるような感じなのだろうか。全体的に好きなエッセイだった。適当に図書館で借りた本があたりだと嬉しい。
 現代は外部の論理に従っている人が多いという話だった。つまり、社会的な圧力が強く、そうしなければということをやっているせいで、生の輝きが失わている人が多い。社会的な規範に従い、役に立つことをやろうとする。冒険家はそれとは真逆で自分の内在性、やりたいことに従って行動している。その内在を突き詰めると本居宣長のような日本から太陽は昇るという古典を限界まで読み込みその精神と同化してしまった状態まで突き抜けることができる。無意味なことを外部を気にせずに徹底的にやると迫力が生まれる。ヘンリーダーガーの非現実の王国も誰にも見せていない大量の絵と物語が発見されるというそこにものすごい迫力がある。無意味なことをものすごい熱量で積み重ねるそこに意味がある。やっている本人にとっては意味があるのだ。そういう意味を僕も新しく見つけなきゃと考えている。10分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?