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浦幌町名誉町民 第1号

今日、7月20日は、
浦幌町名誉町民 第一号
朝日浅吉(あさひあさきち)翁の命日になります。

浦幌神社・乳神神社 宮司一筆です。

浦幌神社の参道脇には、
朝日浅吉翁の銅像が建立されています。

毎年、朝日家の親族によって、
神社神道による慰霊祭が行われ、
浦幌神社の宮司が代々ご奉仕しております。

故 朝日浅吉翁命は、
明治30年、福井県より渡道以来、
67年有余の永きに亘り、
浦幌町の開拓促進をはじめ、
農業の振興に努められた方です。

入植当時、
広島県、福井県から、
約40戸の小作を入植させ、
自ら鍬をとって、
180町歩に余る広大な未墾地を
開拓するなど浦幌町の開拓に尽くされました。

また、北海道長官の特命で福井県に出張し、
多数の移民招致に活躍するなど、
北海道開発にも数多くの業績を残されました。

その他、数々の功績が認められ、
昭和39年10月19日の臨時町議会で、
「浦幌町名誉町民 第一号」に推挙されました。

その他、
農林大臣、建設大臣、北海道知事をはじめ、
数多くの顕彰を受けられました。

このように、
浦幌町の開拓功労者として、
多くの町民から尊び親しまれましたが、
昭和40年7月20日、惜しくも病により、
帰らぬ旅路に赴くことになります。

後に、
この優れた功績を後世に伝えようと
銅像を建立、
昭和41年7月18日に落成除幕式が執行われました。
これより毎年、
7月20日の命日に慰霊祭をおこなうようになりました。

昨今は、命日前の土曜日・日曜日に
朝日家の親族が集い、
感謝の祈りが捧げられております。

昨日、55回目となる慰霊祭が
緑の生い茂る神社参道脇の銅像前で
執り行われました。

厳しい自然環境に立ち向かい、
未墾の地を鍬を以て
ひたすらに開墾して下さった開拓功労者に対し、
厳粛に祭事を執り行い、
感謝と祈りをささげること。

これは、しっかりと
後世に伝えなければなりません。

参列された小学2年生の子孫が、
素直に感謝し手を合わす姿をみて、
改めて、
先祖を敬う大切さを感じました。

朝日浅吉翁命も目を細めながら、
よろこんでおられることでしょう。

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