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スペイン・バスク地方のバルで

東京・丸の内のビルディングで『ゲルニカ』を見ることができる。祖国スペインが無差別爆撃にあったという報を聞いたピカソが、戦争のもたらす惨禍を描いた作品。

オリジナルはマドリッドの美術館にあるので、丸の内で見られるのはその複製。

ビルのオープン当初からずっとあるらしく、設置されてから20年ほど経つ。天井が高く、採光も良い広場の一角。大きくとられた壁面のガラスが明るい。周囲にはベンチが置かれ、寛ぐ人の姿も多い。

広場を挟んだ反対側にはかつてイタリアン・レストランがあった(現在は大手コーヒーチェーン)。何度か利用したことがある。『ゲルニカ』を正面に見る席を選んだこともあったが、戦争を傍観しながら食事している気がして落ち着かない気持ちになった。

『ゲルニカ』という絵画のタイトルは実際に爆撃にあったスペイン北部の街を指している。コロナ・ウィルスが世を席巻する半年ほど前、実際に訪れてみた。山間にある、人口2万人足らずの小さな街。美術館や料理で名高い都市・ビルバオからバスで1時間ほどの距離。

そこにも、丸の内のように『ゲルニカ』の複製が置かれていた。平坦な駅前から坂を登った小高いところで、日本と違って野外での展示。昼と夜の二度足を運んだが、後者の方が印象に残っている。

深夜、雨が降る中ホテルを抜け出す。傘がなかったので駆け足で向かう。静まり返った街。雨のほかは自分の足音だけ。ライトアップされて闇に浮かぶ『ゲルニカ』には存在感があった。もっとも、絵そのものから伝わってくる力強さとしては、マドリッドで見た実物の方が強く感じられた。10年ほど前の自分と比べて感受性が摩耗してしまった、という見方が正しいのかもしれないが。

ゲルニカの街で


ゲルニカでの滞在で、ピカソの作品より印象に残っているものがある。

平和博物館や野外展示を見終えた、まだ日の明るい頃。歩き疲れたし腹も減ったので、当てもなく歩きながら店を探す。広場の先、歩道の柵に沿って手書きの横断幕が掲げられていた。長さ20メートルほどか。何を書いているのかわからないが、バスク地方らしい、独立に関連したなんらかの主張だろうか。

横断幕と一体化するように、すぐ奥にバスク州旗やかつてこの地が独立王国だった頃の旗を掲げた店があった。明るく爽やかな、入りやすい他のバルとは全く違う雰囲気。バスクの中でも特有の店だと感じて近づいた。

表にはメニューや看板が出ておらず、排他的な雰囲気も漂う。入り口を挟むようにして太い柱が立ち、煤けたような濃さの茶色は威圧するような重苦しさもある。カウンター上のピンチョスやビールサーバー、吊り下げられたワイングラスから類推して、そこが店であるのは間違いない。カウンター席に座り、奥から顔を出した女性スタッフにビールを注文した。

改めて店内を見回すと、壁には何かメッセージ性の感じられるビラがいくつも貼られ、少し高いところには5人の男の顔写真が掲げられている。

『バスク祖国と自由』(ETA)という、バスク地方の独立を目指してテロを利用した強硬な活動を続けてきたグループがあるが(政治家や政府高官、民間人など合わせて800人以上を殺害)、そのメンバーたちだろうか、と考えた。旅行前に日本で見たドキュメンタリーにも、こんな感じの店が出てきたと思い返した。出所したETAのメンバーが地元のバルを訪れ、壁にかけられている自分の写真を自らの手で取り外す。店に詰めかけている家族や支援者はそれを拍手で称える、、。

ETAそのものはこの旅行の前年、すなわち2018年に解散を宣言していたが、たぶんここはグループとなんらかのつながり、関わり、または寄り添いがある店なのだろうと想像した。ドキュメンタリーで見たのと同様のシーンが、ここでも行われるのだろうか。給仕した女性スタッフは70歳ほどにも見える年配者だったが、自分の息子も服役しているのかもしれない。彼女が生きている間に出所する可能性はあるのだろうか?

そんなことを考えながらビールを飲んだり、食べ物を摘んだ。グラスを空にした後は赤ワインへ推移。店の奥に積まれていた雑誌を手に取り、スペイン語だったりバスク語だったりで全く読めなかったが、ワインを手にパラパラとめくったりして体を休めた。

日本に帰ってから5人の名を検索した。そのうちの一人は国王の暗殺未遂、懲役92年。

政治犯たちへの連帯、配慮を訴えるバナー


店の入り口


店内の掲示


服役している元ETAメンバー








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