ピースボートと私 その7
受験に落ち、バイト面接に落ち、人間失格の烙印を押された様に感じた私は、同居の男子大学生に事の顛末を話した。
ルパンみたいな見た目の大学生と藤原組長みたいな見た目の大学生に、そんな怪しいヤツが、受かるわけないじゃん!と言われた。
17年前の日本にはシェアハウスという概念が定着してなかった。
面接最中の店長の顔を見て、この人の理解の範囲を越えたということは、鈍い私でも感じていた。だがしかし、嘘をつくという選択肢はなかった。
嘘は嘘を呼び、不用意な発言から綻びが生じる。
後日、私は藤原組長似の大学生と共に日雇い派遣のバイトに登録した。
福岡ドームに付随する仕事の派遣バイトで、野球の試合でファールボールを知らせる笛を吹いたり、SMAPのコンサートのグッズ販売したり、シルク・ドゥ・ソレイユの会場案内したり、ミーハー心を刺激する内容で、都会を感じた。
一方、ボランティアスタッフ活動はかなり初っぱなから思うように進んでなかった。
1番手っ取り早く割引を貯められるポスターを貼る活動はメンタルを削られた。
活動に賛同してくれる人、応援してくれる人の割合の方が多かったが、一軒断られると、やる気が落ちる。
SNSと似ている気がする…。
事務所内での作業は、連日連夜シェアハウスで行われる討論会(ただの雑談)で外が白みはじめた頃寝ていた為、重役出勤。
ポスターに貼る両面テープを切る作業は好きだったけど、単純に時間が稼げなかったし、実働時間を計り辛い募金のバナー作りや、いいよる会(ボランティアスタッフによるボランティアスタッフの為の定例会議)後に食べるご飯作りにモチベーションを持っていた。
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