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終わらなかった言葉たち。

なんだかんだ、当初の目的を達成しても毎日続いているnoteだが、もちろんその日一つの投稿を書き上げるまでに三つか四つ、ボツにした書きかけのnoteがある。

タイトルや書き出しでいい感じに結論を匂わせていても、書いている途中に脱線して戻らなくなってしまったやつら。
今日はそれを掘り起こして、何を書こうとしていたのかぼんやり思い出してみるnoteです。

前提として、書きかけで止めているので文字通りの言葉足らずにつき、いろんな方面に配慮していない結果になっているものもあるかもしれないので、各自適宜お願いします。

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タイトル:推しの全てを愛せないことは至極当然であるという話。
​突然だがApple製品が好きだ。
好きだと言うには語弊があるが、好きか嫌いかで言えば好きだ。
複雑なだけで。
時期的にとても流行に乗ったような話題になるが、これまた結論を述べると「推しに対して好きも嫌いもあっていいと思うんだよね、人間だもの」です。
Appleについての複雑な感情を端的に表す過去の己の発言がこれだ。
まだガラケーを使っていて、でも世界がスマホ基準に移行を終えつつあり、流石に乗換えを検討するようなころ。
「iPhoneなんて絶対に使わないけどスマホにするならiPhone以外は絶対買わない」
今振り返っても最高に意味がわからないけど言いたいことだけは確実にわかる言い回しである。​
感想:自分が好きなものを全部丸ごと愛さなければいけない、ということは全然なくて、「全体的に見れば大好きだけどこの部分は嫌い(受付ない)」という要素が一つ以上あっても何ら問題はなくて、逆にそういうデメリットやネガティブな部分を踏まえた上で推していけたらもう最高だよね、という話をしたかった。

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タイトル:信じ続けるという一番の裏切りについて。
​雨続きで心が沈んでいるので、現実の楽しさと一切関係のない個人の意見を書きます。タイトル回収も結論もないやつです。
​ここ数年でそんな自分との対話(と書いて同人誌の原稿修羅場と読む)を経た結果、「なんの疑いもなく心底から相手を信じ続けること」のとんでもなさについて恐怖を抱くようになった。
この「信じる」という単純な行為は、相手との距離感によって一番手ひどい裏切りになる。
もうこの瞬間まで私を見捨てずにいてくださる(呆れはあるかもしれない)人々に対しては、その次元を超えた信頼と感謝と敬意とを抱いているので、発揮する場面はない。
そうではない、もう一層外側にいる人間たちに対しての、これ以上はない呪いの話だ。
「あなたがいうから信じる」「あなたのことを信じるよ」
こんな恐ろしい呪いがあるものか。
​信じること、そのものはとても素晴らしいし、人生において大切な要素だし、この世の中は基本的に良いものだと信じていたいし、信じている。
だけれどそれが人間関係に限られて、かつ過去に信頼関係にヒビが入りそうな危うさを孕んだ上に成り立ち、明確な合意と和解がされていない場合にとんでもない呪いになる。

感想:個人対個人の限りなく狭くて小さい関係性に対して、「大衆を味方につける」という必要性がある場合の一番効率的な方法について書いていた、はず。
つまり「私はあなたを信じてたのに」っていうセリフの破壊力について書いてたつもりが長すぎてボツにしました。書き出しも削ったしこの後にもダラダラ呪い論が続く、地獄のような書きかけ。

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タイトル:あなたに手は差し伸べられない、という救いかもしれない宣言。
​手を差し伸べたからには、救わなければ、とかそんなことは言わない。しないし、できない。
そもそも救える算段がないから手を差し伸べない、とかそういう話でもない。
ただ、過去に落ち込み倒れている側だった時、「全然何にもできないけど」という無関心が心地よかった話です。
内容的に必然、暗いことも書くことになるので現在進行でお悩みの方は引き返した方がいいかもしれない。自衛してください。​

感想:今見返すとよく書けている、と思うけれど内容が実体験に基づきすぎてて安易に外に出すと思いもよらぬ方向を引き摺り込みそうだったので封印するこれも呪いの書のようなあれ。
よく書けてはいるので、気が向いたら有料で公開します。忘れていなければ。

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タイトル:言いたいこと、迷子。
​だいたい書き始める時、早めに結論を見つけて置いてからそっと書き出すのだけれど、いつも決まって思い描いていた経路から外れた道順で着地する。
着地するならまだいいが、途中で道を逸れていることに気がついてから、どうしても着地点そのものが見失われていることに気づいた時が問題だ。
結論、着地点が迷子の時の迷子呼び出し方法とは、です。​

感想:今回のnoteで書こうとしてたことと同じことを書こうとしているやつですが、この後に書き出した二行でもう完全に話が逸れた気がして書けなくなったお蔵入りです。

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タイトル:世界は私の速度に合わせてくれない。
​当たり前のことかもしれないが、世界が私の意志と別で動き続ける不随意である限りこの法則に乱れはなくて、だから多分、穏やかに生きていられるような気がしている。
電車遅延のさなかに書いていますが、人生の余裕みたいなものについてです。早めの結論を心がけたい。

感想:タイトルが全部の結論を含んでいるが、思ったよりすぐに電車遅延による時間にリカバリが効いてこのままになっている書きかけのやつです。

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タイトル:他人に提案する時に「自分はそうだった」をやめたらいい。
人は人、自分は自分。真の意味で。
昨日のnoteの続きのようでそうでないような、ほんのり地続き程度に捉えていただければ幸い。
取り扱いと説明が難しくて、ここを誤ると大変なことになるのは目に見えているので慎重に探る。
まず、「しんどさ」に対しては一切の希望を生み出さない。
「(自分もそうだったけど)いつか終わるから」とか「状況が良くなるまでの辛抱だよ」みたいなあれ、励ましだと思っているならお気遣いありがとう、とだけ。
いま、ここで、わたしが、しんどい!!!!!!という気持ちを受け止めて欲しいだけの人間には一切不要である。​

感想:書いている途中でただの現状への愚痴になりかけたので意図的に途中でやめたやつ。この後にも続いている文章がありますが。
言いたいこととして、「体験としての共感は過去の苦労からしか生まれないしそれを以って寄り添うことはできるけど、その後に続く同じ体験(=苦労)をしろという言い分には一切納得できないし従う必要はないと思ってるから黙ってろ」ということを言いたかった。

以上です。
いかに普段から面倒臭い思考回路で生きているかが見て取れるし、頭の中わりとゆるふわだな、と思います。

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