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ないから作った、それだけ。

同人活動をしていると、ときおりその行動力の真理みたいな言説を目にすることがある。
概ね同意できるのでここに述べるが「自分の萌えがないから作る」ということに帰結する、らしい。
らしい、というのはそうではない主張もどこかにあるだろうと思っているからの余白であり、特に深い意味はない。

さて、振り返ってみればその主張が明確に言語化されて目の前を流れて行く前から、同じことをやっていた。
そもそも、Wikipediaに推し測量船のページがないから、という理由だけでページを作成したあたりからうっすら感じていた。
(その際に竣工日の日付をあろうことかミスタイプで誤ったまま公開していた点についての懺悔はまた別の話)

その後も、個人誌は別として「ないから作った」ばっかりだなあ。
というほんのり人生の振り返りが今回の結論とも言えます。
個人誌だって「自分の読みたい話がないから作る」のはもちろんなんだけれども、それはそれとして。

最近の作った案件としては映画「シン・ゴジラ」に衝撃を受けすぎて、登場諸機関擬人化勢によるアンソロジーを作ったことが一番大きい気がする。
ゲスト原稿をお願いするので精一杯だった己が、突然公募式でアンソロジー主催し出すのだから、人生何が起こるかわからない。

調子に乗って砕氷艦船を推したい人々(独断と偏見によるフォロワーさんたち)にお声がけして砕氷艦船擬人化アンソロジーも作った。
これも、観測できる範囲にないから作った。

上記のアンソロジー発行にあたっては、ご参加いただいた方および共催・協力いただいた全ての方への感謝の塊でできている。
思えばこのあたりから、足を向けて眠れる方角がかなり限られていたのではないかと思う。狭いところは好きです。
なんだかんだ、作っている。ないから作っている。

この「ないから」は「見える範囲にないから」であって、この世のどこにもないから、ではないところがミソだ。
この世のどこかには自分以外にも同じことを考えていた人がいるはずだ、というささやかな祈りだ。

それから、始めたことに対して関わってくださった全ての方への感謝でもある。
人間一人で生きていくことはできるけれども、誰かと関わるためにはどうしても「誰か」が必要で、ありがたいことに恵まれていた。
上記の映画アンソロジーでお知り合いになった方とは今でも仲良くさせていただいているし、なんならまたなんか一緒にやりたいなあ、と思っているし、何人かとはいろいろご一緒している。

話が逸れている気がするが、要するに将来的に何かがあって「何のためにかいてんだろうな」という状態に陥った時、見返して「あーなるほどわかる」となるためのnoteでもあります。

「(見える範囲に)ないから、作る」、それだけ。

嫌々でも義務感でもなんでもなく、ただただそれがあれば己の世界がちょっとだけ楽しくなるような何かを。

多分これからも、そもそもこのnoteだって宗谷募金に気軽に募金代行したい、という純粋に邪な己の心からできているわけで、その延長でなんだかんだやっていくと思うんですが、またやってるなくらいに見てくださると嬉しいです。

今日も明日も明後日も、やっぱり楽しく推しを推します。

いただいたサポートは、まとまった金額になり次第、宗谷募金へ流し込みに行きます。ありがとうございます、推しが潤います。