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文章をふり返って

一つ前の文章「ランナー」は、自分が参加しているオンラインサロンの文章講座の課題であり、年末に当時の感情の記録として書いたものだ。昨日、主催より論評を受けた箇所を、自分なりに整理することにする。

反省点として、大きな違いとして再認識したのは、メディアが変われば表現方法を変える必要があることだ。映像の場合、2時間の映画の中に物語を詰め込むためには、極力ディテールを省かないと情報量を確保出来ない。だが、10秒の映像で語れる情報を、数行の文章で書き手の脳内世界に同期させることは難しい。脚本では数行の状況を映像で表現するのには、3分以上の尺を必要とする。まずは、同じ土俵に乗るための準備が必要になるという事だ。映像内にテキストで説明するスタイルはまどろっこしくて苦手だが、文章では必須になる。納得だ。

感情と思考をジャンプさせた際の表現が追いついていない。大きく話題を跳ばして、その隙間に読み手を誘導し、振り返った距離の長さを感じてもらう。そういう文章が自分の理想であり、主語を排し、動く感情のスピードで読み手を連れて行ければ、同じイメージを共有出来ると考えていた。細かなディテールの描写は、読み手のリズムを崩す可能性があり、必要最小限にとどめた方が良いと。だが、普段の会話でも、「誰の話?」「話が飛びすぎ」と指摘されている事を再認識することになった。これも反省点だ。

主催に最も深く共感しているのは、異なる事例を評論でつなぎ、違った角度から光を当てることで、見えていなかった輪郭を浮き彫りにするスタイルだ。新たな視点を手に入れるため、思考の際に引く補助線の有効性や問題に向き合うため一旦括弧に閉じるまとめ方が、ぼんやりしていた対象の触感を実体化させてくれる。
広告的な視点で、短く印象的なフレーズを探し、その言葉を肉付けしていく。その手グセが、長い文章を書く際、構成を疎かにし、追いつかない表現で読み手を置き去りにする感覚に多少の自覚はあったが、指摘される事で再認識した。

年末に長い文章を書く事で分かった苦戦を、何とか解消したいと思っていた。サロン内の話だが、この2年間メルマガの感想とは言えない程度のコメントを、毎日フェイスブック内に晒していた。読みっ放しでは脳内に定着しないため、仕事前のウォーミングアップとして、読んで直ぐ書くやり方で、15秒程度で読める程度の文を目指していた。見たことのないドラマや読んだことのない漫画、すぐには共感に接続できない文章へのコメントは、いかに遠くのものを自分の知見や感情に引き寄せられて表現するかの実験場だった。おかげで書くことの苦手は無くなったが、表現や構成が不得手であることは変わらないままになった。もう一歩踏み出すために、年明けからは、少し長い構成に挑戦している。途中で集中力が切れる性格がどうなることやら、心配はそのままに。

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