見出し画像

日々のこと

20240319

今朝、玄関脇の雪柳が咲き始めていた。
もしかしたら、数日前の暖かい日に咲き始めていたのかもしれない。この週末はしばらく家にいなかったので私が知る由はない。父が好きだというこの雪柳が咲くと、本格的に冬の終わりと春の始まりを感じる。どこか遠くの地で雪解けし始めている雪が、花になってここで咲いているかのように、小さな花びらは真っ白。この花びらが満開になる頃、明るくて真っ白な花たちがこの季節が来たことを祝福するかのように暖かい春がやってくる。
こんな風に雪柳は私にとって、梅や桜と並んでこの季節の移り変わりを彩る花。


20240327

この文が書き終わらないまま置いていたら、玄関前の雪柳も満開になっていた。公園に咲いていた雪柳はもう少し前から咲き誇っていたので、自宅前の子たちはもしかしたら陽があまり当たらないから咲くのが遅くなったのかしら、なんてことを考えていた。

まだ寒い日が続く。マフラーこそしなくて良くなったし、ダウンもしばらく着てないけれど、コートは手放せないし、朝夕自転車を漕ぐと風が冷たい。
河津桜が咲いているのはみたけど、ソメイヨシノとか、その後の桜たちはまだ姿を見せていない。今年の桜前線の予測をまだみていないことに気付いた。桜を見に行けるのはいつになるだろうか。


ここのところ、身体的にも精神的にもいっぱいいっぱいになっていた。別にめちゃくちゃ忙しかった、と言いたいわけではない。というか、自分が予定を詰めている時と比べたら大した事はない日々だ。それでもなんだか苦しくて生きづらくて、変わりたい自分に対してやっぱり変われない自分が情けなかった。過去形にしてしまっているけど、現在進行形で情けないと思っている。

私は、自分の愛し方をよく知らない。世の中では、自分を愛せないといけないよ、恋できないよ、幸せになれないよ、とかそんなことがよく言われている気がする。そんなに自分を愛せないといけないの、と思ってしまう。愛せなくても、好きになれなくても、自分を大切にする事は出来る。嫌いであるよりは好きな方がいいのかもしれないけど、そんな考えに支配される方が疲れてしまう。
自分のせいで、自分の責任で、嫌になったり苦しくなったりとかしていたのだけども、ここのところはそういう事ばかりが頭を駆け巡って、本当にもう何もかもから逃げ出したくなっている、

何もかもから逃げ出したくなって、何もかもが嫌いで、もう無理だと思っていたけれど、
同期に救われた。
私はもう少し頑張ることができると思う。まだまだやれる事はあると思う。成長できると思った。どこかで何かを言って、本音を話しているようで話してくれない人がいる中で、きちんと本音で話してくれる友だちがいて、なんでもかんでも肯定するわけじゃなくきちんと意見を言ってくれる人がいて、話を聞いてくれる人がいて、同期に、周りの人に恵まれたな、と心の底から感じた。普段から深い話をするわけじゃないけど、何か節目でこういうことを話せる仲間がいて、ありがたかった。ようやく少しもやもやが晴れてきた気がした。
ずっとひとりで抱えていたものが、少し軽くなった。前を向いていける気がした。

自分だけじゃなくて、こういう人たちに失望されたくないから、こういう仲間を大切にしたいから、何とか一踏ん張りしたいと思う。
個人的に、今年は踏ん張る年だし、変えていくべき年だと思っている。変わるならもうこの1年しかない。

人が簡単に変わらないことなんて自分が1番感じているから、少しずつでいい、できることから、変わっていこう。


明後日の雨を越えたら、週末あたりからはかなり暖かくなってくるらしい。ようやく春が訪れるようだ。1年後、この1年頑張って、踏ん張って、よかった、と言いながら、卒業できるように、春を迎えられるように、進んでいこう。
自分には私が春を呼ばないといけない。

そんなことを考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?