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嫌い、ではない?

2024-01-18→02-14

絵を描くのが嫌いだった。

前に座っている人の特徴を捉えて書いてみましょう、と言われ始まる1時間の授業

美術の授業で出される、お題に沿って書かなければいけない数ヶ月

イメージ図を簡単なデッサンで表してくださいと言われるあの瞬間

ずっと、苦痛で仕方なかった。

小学生の頃は、いかに人と被らないアングルで描くか、誰も書かないであろう、でも平凡なものを描くか、そんなことばかり考えて描いていた。
「青い空も青だけで描くものではない」なんてことを言われて、先生に修正された事は、苦痛な思い出ではないが10年以上経った今でも何故かずっと心に引っかかっている。
空が青一色だなんて思ったことはなくて、寧ろ普段はその逆で、言葉にできない色をしている空が好きなくらいなのに。色も好きなのに。不思議だ。

中学の美術の授業も1週間の中で1番嫌だった。中学の教室棟から1番遠い場所に位置する美術室までは、あっという間で、永遠に辿り着かなければいいのに、なんて思っていた。見たまま描いているつもりの絵も上手く描けなくて、隣の人を見て悲しくなったこともあった。今でも鮮明に覚えているのだが、中学3年の1番最後の課題が「かごを編む」というもので、これが本当に楽しくて仕方なかった。義務教育中の美術の授業で、唯一私が楽しいと思って挑んだ授業であり、誰よりも速く、上手く編めた自負をもっている。(なんの自慢?という感じだが、、笑) このかごは、今でも部屋で使っている。

ずーっとそんな思いを抱き続けながら過ごしてきたのだけれども、最近、絵を描くことに対する抵抗がかなりなくなった。

何故だろう。別に毎日毎日絵を描くわけではないし、未だに美術館が超好き!になったわけではないけど、
選択肢として、描いてみてもいいかな、とか、
美術館に行ってみようかな、とか
そういうことが増えたと思う。

あれだ、オトナになって、食べられる食べ物が増えたんだよね、というあの感覚に似ているのかもしれない。
自分自身昔から苦手な食べ物が少ないお陰で、あまりそんなことを考えたことがなかったのだけれども。

嫌い、とか、苦手、とか、そういうことを思わなくなった、思う事が減ったことは喜ばしくて、
自分の中に選択肢が増えたようにも思えて嬉しい。

無理をすると嫌いになるから、
少しずつでも、この「嫌いじゃないかも?」が
「好きかも?」とか
「やってみようかな?」とか
そういう気持ちになっていったらいいなぁと思っている。

少しずつ、こつこつと、成長していきたいものです。

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