看護学生のインタビューレポートから:沖縄返還
沖縄返還の頃について
【回答者】
対象者:男性 62歳 中城村出身 建設業従事 父
【テーマ設定の理由】
私は、社会学の授業で沖縄の社会変動について学んだことで、父の子供時代にあった沖縄返還の頃にどのような変化があったのかが気になり、今回のレポートテーマにした。また、これまでに父の幼少期の話を詳しく聞いたことが無かったため、これを機会に聞いてみたいと考えた。
【インタビュー内容】
Q.沖縄返還当時の沖縄、中城村はどんな状況だった?
A.そのとき小学校4年生くらいだったかな。ちょっとしたらドルから円に変わったよ。復帰直前までは水道設備は中城には無かったね。中城が一番遅れていた。宜野湾はすぐに水道設備が入っていたな。中城は中学生くらいに水道設備ができたはず。学校のトイレは水道が入っていないから汲み取り式だったよ。
復帰前は健康状態が良くなくて、沖縄で作るお菓子はサッカリン(人工甘味料)が入っていたよ。砂糖は高くて全然使っていなかったよ。
お父さんたちは子供だったからあまり分からなかったけど、大人の人を見てると大変そうだったね。1ドル130円くらいの為替で、給料は100ドルから150ドルくらいだったから日本円に直すと1万6千円くらいだから、本土との差が露骨に出てたね(厚労省データにて、主要労働経済指標における1972年の全国労働者世帯実収入では約13万5千円)。
返還された後はみんな本土に出稼ぎに行ってたけど、お金が無いからみんなフェリーに乗って行ってたよ。確か黒潮丸だったはず。沖縄の人はみんなのんびりしてたから出稼ぎに行っても本土の仕事が辛くて2、3年で帰ってくる人が多かったよ。
お父さんたちは貧しい時代の最後の人だからやっぱりその時の考え方はなかなか抜けないね。ものをあんまり捨てきれないとか、コーラも沖縄のコーラは5セント、本土のコーラは10セントで倍違ったからたくさん飲みたくていつも安い沖縄のコーラを買っていたから今でもなるべく安いものを買うね。
普天間は外人相手の飲み屋が多かったけど、段々沖縄の人がお金を持ちだして、ドルと円の差も小さくなっていったから沖縄人相手に変わっていったね。昔は普天間とか古謝とかはエーサインバーって言って、それがないと外人相手の飲み屋は出来なかったね。普天間基地前には外人向けの質屋がたくさんあったけど次第に無くなっていったね。唯一最後に残ったのは呉屋のゲート前だったけどもう無くなったね。今はインド人がやっている土産品、洋服店が唯一残っているはずよ。
Q.沖縄返還となって良かったことは?
A.58号線を始め道がとっても良くなったね。公共工事が増えて急激に仕事が増えたね。頑張れば稼げるようになったよ。それまでは英語が喋れる人とか、軍作業できる人だけが稼いでいて貧富の差が激しかったな。
生活面で便利になったのが大きいね。
憧れの職業が軍作業から公務員に変わっていったね。昔は公務員の給料は安くて紹介でも入れるくらいだったけど、本土からお金が降りてきて一気に給料が良くなったね。民間では返還前からバス会社が唯一公共交通機関だったから給料は良かったね。だから返還前まではバスの運転手がたくさんいたよ。
昔は健康保険が無くて、医療費が高くてお金がかかるからよっぽどじゃないと病院に連れて行かなかったね。返還してから健康保険ができて良かったよ。
Q.沖縄返還となって悪かったことは?
A.工事とか家庭から出る排水のせいで海がとっても汚れたね。それまでは海の水はとても綺麗で南城市の奥武島は海に50メートル入っていくとものすごい量のサンゴ礁があって引き潮になったらとっても綺麗だったけど今は跡形もなくなってるね。
沖縄らしい風習が無くなっているね。今はお盆に親戚が集まるけど、昔は正月もみんなで集まっていたよ。だけど今は各家庭で祝うようになって親戚同士で集まらなくなったね。
【考察】
祖国返還前の沖縄はアメリカの統治下にあったが、島民の生活基盤を支える施策はほとんど行われておらず、戦争の被害が大きく人々の生活はとても貧しいものであった。その中で、米軍関係の仕事と公共交通機関のバス会社に勤める者の待遇は良く、貧富の差が生まれていた。だが、祖国返還となってからは急速にインフラ整備が進むことで島民の生活基盤が作られ、公共工事が発生することで多くの人が仕事に就くことができ、生活水準が上がっていった。その代償に、開拓、工業排水、生活排水により多くの沖縄の自然が失われ、本土の風習が入ってくることにより、沖縄の独自の風習は次第に失われていったと考える。
【感想】
今回父親の話を聞いてみて、今ではあって当然のものが無く、今の生活がどれほど豊かなのかということに気づかされた。私たちは昔の人々の命と、苦労に苦労を重ねた上に成り立っており、決して今が当たり前では無いと感じた。今私にできることとして、今の生活に感謝し、将来沖縄へ貢献するため今一生懸命学業に尽力したいと思った。また、沖縄の自然と文化が発展とともに失われている現状に対し他人事だと考えず、それらを守る活動に参加できる機会があれば積極的に参加していきたいと思う。
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