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20240912:図書館のおもいで

子どものころ、学校の図書室は自由に入れなかった。
一番本が読みたい年頃なのに本が目の前にあっても自由に入れない。確か昼休みと決まった曜日の放課後だけだった気がする。
小学館から出ていた黄色い背のシャーロック・ホームズ全部読んだなー。
あとは太平洋戦争を劇画調に描いた残酷なマンガ「ほるぷ平和漫画シリーズ」。死体に虫がわく描写とか、連合軍が来るから集団自決するといって洞穴で手榴弾を爆発させるところとか、見てはいけないものを見ていた。
でも一方で戦車のプラモデル作ってちゃんとしたジオラマやってみたいと憧れてもいた。矛盾。

自治体の図書館は自転車で気軽に行けるほど近くになくて。
中学入ってからラブクラフトとかドストエフスキー、ムアコックの「エルリック・サーガ」を繰り返し読んでいて、新しい本に手を出すことがあまりなかった。中学の図書館も気軽に入れなかった記憶があって、本を借りた覚えがない。買ったものをひたすら再読していた。
エルリックは愛した女性を殺してしまうストームブリンガーがかっこよくてねえ。今なら嫉妬とも思えるが、当時は剣を持った者が受ける呪いとして純粋な畏怖と強さへの憧ればかりだった。

高校に入ると新しい校舎だったので立派な図書館だった。
橋本治に出会い、方言辞典の大きさに圧倒され、途中から演劇部に入ることになって寺山修司の戯曲で町中に血を流す(ガルシア=マルケス『予告された殺人の記憶』のパクリです!)のとかやりたいなーと憧れていた。

大学ではまったく勉強しなかったけど、仕方なく卒論を書くというときになって、当時は戸越にあった国文学研究資料館に通いました。
今は立川に移動しちゃったんですよね。
戸越の頃は古い建物で、分厚く束ねられた雑誌を借りて、それぞれの論文をつぎはぎしたようなみじめな文章でなんとか卒業できたものです。
でもあの建物で過ごした静かな時間は忘れられない。専門の資料が収蔵されている場所特有の静謐で、厳かな印象。
頭よくなったような気がした。

大人になってからの方がたくさんの本を読んでいて、若い頃は図書館よりも古本屋を巡ってかき集めた本を読むのに夢中だった。
図書館には絶版になった廃棄本を探すために行く方が主な目的だったかも。
でも、最近はすっかり本との向き合い方が変わって、図書館で読んで良かったら買う、というスタンス。文学とちがって、自然科学の本は何度も読み返すことが多く、時代によっても書かれていることがちがったりするので、その差異も確かめないといけない。
メインにしているコケにしても一番大きな図鑑は2000年発行で、この24年の間に系統がかなり変わってしまっているし、なんなら名前まで変わってる種もいる。
文学は受け止められ方はちがっても、時代によって中身がまちがっているということはない。でも、自然科学の場合は時間を遡って「この時代はこういう考えが正しかったけど、今は訂正されている」という認識をもってないと、誤った知識のまま観察に行ったりすることになる。

ここ数年、図書館には自分の目的のほかに、他者の目的のためにも通っている。ボランティアで音訳をしている。
当日渡された書籍や文章を初見で読むのだ。
若い有名人の名前とか全然読めないけど、時に自分にとってもおもしろい本を音読することになったりすると、休憩時間にクライアントと本の中身について語り合ったりする。これが最高に楽しい。自分の知らなかった新しい世界に、別の人に手を取って誘ってもらったようなうれしさ。
しゃべりも下手だし体力的にもちょっと厳しいんだけど、さぼりつつもなるべく長く続けていけたらなとも思います。

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