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居られるだけですごい——『居るのはつらいよ』(1)

ちょっと前に話題になって気になっていた医学書院から出ている東畑開人『居るのはつらいよ』を読んでいる。
著者は大学院まで出てなぜか沖縄の小さなデイケアで働くことになる。このあたりの自意識の鋭さを温かい眼で回顧しているところから、もうこの著者は信用できてしまう。そもそも名前が「開いている人」だ。すごい。

居ることをあまり許された記憶がない自分としては、居る場所が他者の間にあるのがすごいと思う。本書でもヤンキーあがりのジュンコさんが他者といるときにいろいろがんばりすぎてしまって破綻してしまうので、自然と共感してしまう。自分はがんばらないと誰かに認めてもらえないと決めつけてしまっているから、落ち着いていられない。お金がないとダメだし、料理ができないとダメだし、気配りは当然。わたし自身、ずっとなんでもこなせる人になりたかったけど、そんな人はいないんですよね。
そうなると、ただ居るだけ、それが許されると思えなくなる。

榛野なな恵『今年はじめての雪の日』で、主人公は寮生活をしているが、身元引受人になっている人の娘に憧れている。おしゃべりな彼女は物静かな主人公を評価している。

違うの 外見じゃないの 性格も正反対なの
でも 私のおしゃべりとあのコの沈黙は同じものでできてるような気がしたの
それはね 外の世界への壁よ
私はその壁で姉への息苦しい程の嫉妬を隠してきた
あのコもきっとそう
傷ついたり 傷つけたりすることから 逃れる方法だったのよ
自分は ナイフや針やピストルを 生まれつき持ってる人間だと思い込んでいるの(p.60)

誰かの100点のやり方は、別の人の0点かもしれない。もしかしたら若いうちに自分にあったやり方に出会っていれば、こんなに苦しまずに済んだかもしれない。でも、インターネットで何でも分かる世の中でも、ひとりひとりに合ったやり方なんてない。
「たった一つの冴えたやり方」が人生全てに当てはまるなんてないこと、20代前半くらいで知りたかったな。

『居るのはつらいよ』本書の5章、遊びは安心して遊べるから遊びなのだというところも、ものすごく思い当たる。若い頃は学業なんて放り出して麻雀やゲームにうつつを抜かしていたけれども、いざ働き出して猫と暮らしだしてからは、遊ぶことができなくなった。猫とは遊ぶけれども、それは情操教育の一環として猫と遊ぶというか、親代わりにジャンプ力をつけさせたりするという義務感による「目的」があった。退屈をつぶすような時間の使い方ができなかった。あれをやらないと、これをやらないとと常に何か(あるべき自分の姿に追いつける行動)に駆り立てられていた。そういうの、本書では全部喝破されてる。これももっと早く書いてくれたらよかったのにー。

後半にさしかかり、ボスキャラにまさかの事態を迎えて、ますます読むのが楽しい(と言ったら現場の人に申し訳ないけど)。
ふつうに生きててちょっとつらいな、という人にはおすすめです。


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