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美味しいの記憶

わたしは食べるのが大好き。

だからなのか食べることにまつわる記憶がたくさんあって…。

美味しい記憶の一つは、正月の食卓。    子供のときは、おじいちゃんを囲むように親戚一同が集まって、みんなで1日中食事を楽しんだ。大晦日からその宴はスタートするのだが、煮しめやら栗きんとんやらが並び始める。もちろん、それに手を付けて良いのは年が明けてから。

正月の朝10時くらいからどんどん食卓の上が賑やかになる。             黒豆やおせちのようなものも恐らくあったんだけど、記憶に鮮明に残るのは非日常なご馳走ばかり。

モダン好きな家系だったのか、海老のあじさい揚げや、小さな小さなパイの中央をくり抜いて、クリームチーズとイクラをトッピングした、見たこともないような華やかな食べ物がずらりと並んだ。それらを朝から晩までダラダラと食べ続けるのだ。

合間には砂肝でとった出汁をきかせた和洋折衷な雑煮がでる。なんとも自由で境界線のない、そんな食卓がそこにはあった。

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「おじいちゃんがむいてくれる果物」

おじいちゃんは八朔や夏みかんなど、袋付きの柑橘をそれはそれはきれいにむいてくれた。キラップリッと果汁が光る、人にむいてもらった果物は、何よりもご馳走。

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「早苗おばさんの中華ちまき」

引っ越し作業で大変な時

おじいちゃんがいよいよ入院となった時

遠くに住む早苗おばさんは、いつもアルミ箔に几帳面に包んだ「中華ちまき」を届けてくれた。包を開くと艶のある茶色い米粒と、小さく刻まれた具材。            温めなくてもほんとにしみじみ美味しかった。

すぐに駆けつけられないけど、いつも思ってます

そんなメッセージを感じることができた。

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「ゆきちゃんのお弁当」

産後すぐの私にいとこのお姉ちゃんは、

「お昼はその辺で買っていくから何もしなくていい」

と言ってくれた。そして赤子をたっぷり楽しんだ後、お姉ちゃんは紙箱を取り出した。 その中にはきれいに握られた玄米のオニギリと、キッシュやひよこ豆のハンバーグなどのおかずとともに、その時期には珍しい大粒のイチゴ。皿やコップ、箸まで全て用意してきてくれた。

何も喋らない静かな赤ちゃんとだけ過ごす母親の寂しさを理解してか、久々にわいわいと食べるご飯の美味しかったこと。

紙箱たっぷりに作られた料理の数々は、ちゃんと残るくらいの量で、夜ご飯に食べてと。お料理上手なお姉ちゃんの作るご飯が美味しかったのはもちろん、産後の私への温かい気遣いがジワジワ伝わって、どうにもこうにも一生忘れられない美味しい記憶になった。  

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わたしも美味しい記憶を作れる人になりたい。ふとしたときに心の支えになるような。周辺の出来事とともに、じわっと温かいものがこみ上げてくるような記憶の一つとなれますように。

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