恐れと独創性
引用:科学入門名著全集9 砂鉄とじしゃくのなぞ p.p.100-101 板倉聖宣 国土社 1991
人からばかにされるようなことだって、考えたり、しゃべったりできるようにならないと、科学の研究というものは進歩しないのです。
科学の歴史をしらべてみると、すぐれた科学者たちだって、ずいぶんひどい考えちがいをしたり、ばからしいようなことを考えたことがあるということを知って、わたしは自分がまちがえるのがあまり気にならなくなりました。「とんでもないまちがいをするのはらないことを自分ひとりで考えると、だれだってまちがえるのは当り前だ」と思えてきたのです。
ところで、科学の教育では、みなさんが自分ひとりで考える習慣を育てることが大切です。そうしないと、独創的な考え方が育たないからです。ところが少し大きくなると、多くの人びとは自分ひとりで考えるのをおそれるようになります。まちがえてみんなから笑われるのが心配になるからです。ですから、独創的な考え方を大切にするためにはまちがいをおそれないことが大切です。
わたしは日ごろ、そういう考えをもっています。そこでわたしは恥をしのんで自分のまちがいをみんなの前に公開することにしたのです。ひとのまちがいを知ると、たいていの人は安心できるところがあります。「他の人も、そうやってとんでもない考えちがいをしながら、自分の考えをすすめているんだな」と思えて、自分が考えちがいをすることがあまり気にならなくなるからでしょう。それに、一度公開を決心してしまうと、あまり恥ずかしくもないように思えてくるから不思議です。
自分ひとりで考えたら、だれだってわたしと同じようにいろいろまちがえるにちがいない」とも思えるからです。みなさんはどう思いますか。「それにしても、この本の著者のまちがいはひどすぎる」とお考えでしょうか。それとも「この本の著者のまちがいには、面白いところがある」とお考えでしょうか。