MVの知らん女、私って三鷹アサに似てる、ルックバックの映画 6/30の日記

音楽のMV見るとバンドに関係ない知らん女がよく走ってる。むかしは誰だてめえは?って思ってたもんだけど、今はよくあるアニメ風のMVとかも実際には歌ってる人と関係ない絵の女だった。そう考えると、曲を聞く時って、別にその作曲に関わる人達を連想するわけではなくて、自分の中にある情景とか記憶を呼び覚ましてるわけです。そういう時って変に背景が明確な人間よりかは、あまりその人の実態そのものを知らない綺麗な被写体があることが望ましいと思うんです。聴いてる人が男でも女でも、過去の情景を呼び覚ます時に、美人が私の代わりの再現VTRとして歩いてたら、悪い気はしない。
不細工は多種多様に個性的だけど、美人は平均的だ。だから、どこにでもパチンとハマりやすい。多分。ていうかなんか日本のサブカル文化って主人公が大抵美少女だよなって思った。それとも自分がオタクだからそういうものしか知らないだけなのか?美少女とかってどこにでもハメやすい形のいいパズルみたいなものですよね。汎用性があるというか。

それに関連する話で、三鷹アサが私に似てるwみたいなツイートがバズってたけど、正しい楽しみ方だよなって思う。
もし三鷹アサがあんまり美人じゃなかったら私に似てるって言いにくいと思う。ぼっちちゃんに似てるとかも。ああいう人って、わたモテのもこっちに似てるって言わなさそうなのがいいと思う。
そういう意味でアサのキャラクターの絶妙さが凄いなって思いました。

ルックバックが映画化されて話題になってた。漫画は読んだけど素直に面白いなって思った。でも、やっぱりどうも心に引っかかるのはあの犯人のことだ。そりゃあれは京アニの青葉がモデルだから、彼と同じ病気持ってる人間としては、どうも快く楽しめないわけである。「私って三鷹アサに似てる(笑)」っていう無邪気な言えたらよかったけど、私は「ルックバックの可愛い京本をぶっ殺した犯人に似てる(笑)」って言わなきゃならんから辛い。
まあ正直言って、事件をモデルにしてるから響くこともあるけど、あれって実際は人災じゃなくて自然災害とかでも変わらない話でもあると思う。社会の病理だとかなんとか言っても、0にすることは不可能だと思うし、そういう意味では地震とかと変わらないと思う。

自分も無邪気に感動した後によく考えたら色々台無しにする災害の方だなって考えると何だか嫌な気持ちになったし、あの修正云々はまあ妥当な判断だとは思う。
こうやって変に犯人側に肩入れするのも、三鷹アサに感情移入しちゃう女の子みたいな勘違いだったら何よりだ。今は自覚ある分いいと思うけど、年食ったらもっとおかしくなちゃうかも。

実際、現実にああいった事件あって、自分と同じ志の人とか知り合いがぶっ殺されたら、漫画の中で悪く描くくらいのことは全然許されるべきっていうか、当然だとは思う。むしろ足りないくらいだろう。表現の修正とか知ったことじゃねえよって思うのも当然だ。
でも、どうにもそっち側に乗れないっていうか、社会の荒波の中をサバイブして戦うクリエイターみたいな顔付きになれない。絶対おかしくなって何もかも台無しにしちゃう側の確率のが高いなって思っちゃう。しかも可愛くもないし。京本とか藤野とか結局可愛い女の子じゃないですか?そりゃみんなそっちが自分であってほしいもんな。何の魅力もないハゲたおっさんが美しい少女たちの物語とか可能性を台無しにする方だなんて思いたくもないし。
ジョーカーとかもホアキンがかっこよすぎて憧れるだけで、実際しけた冴えないおっさんだと思うよ。

こういう事ばっかり言うと暗くなるし暗い奴ばっかよってきそうだからいやだ。だからせめてもの嘘でもいいから明るいふりして生きていきたいと思います。誰がなんと言おうが、私だってアサちゃんに似てるしぼっちちゃんに似ているに決まってるんだ。私こそがアサ、ぼっち、藤野なんだ。あんなおさっさん側なわけ……。


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