日記の方向性を変えようと思う

今までの私は誰かに見られたりとか、ある程度の話題性やワードの引きの強さを考えて、ネット受けしそうな言葉をあえて使って日記を書いてたと思う。多分これはTwitterとかをやりすぎたせいで、人の見られ方とかいいねがつくかどうか、共感できるかどうかに重きを置いていたのだろう。これはもはや染み付いたもので、おそらくほぼ無意識のうちにやってしまってる行為だ。最初の方はいいねが付いたりしたら楽しかったけど、逆に言えばいいねがつかないと無価値に思えてくるのが嫌だ。それが方向性を変えたい大きな理由だ。

私がそもそもネットで発信するを事を決めた理由が、現実では誰にも言えない事を言いたかったからだ。もうひとつは現実の私でない別の誰かになりたかったのだ。そこには色々なしがらみがなかった。特に肉体的な縛りからは解放されていたし、とにかく私の魂のようなものだけが残ってるような気がしたのだ。孤独感から少しは解放されて、今となってはある程度共感してくれる人だって出てきて、たいへん喜ばしいことなのだけど、今度は誰にも共感されないことを言いたくなってきたのだ。

私がネットを始める前に誰にも言えなかったことというのは、現実世界では共感されない事だから言えなかったという事でもある訳です。でも、ネットで発信を続けてみると、共感を呼んで多少のフォロワーやらいいねがついたりしたのだ。ようはそれはインターネットの奥側には同じような人達が見つかった事になる。私の思ってたことは恥ずべきことではなかったという訳だ。
これは少し悲しいことでもある。私だけのとっておきのことが特別ではなかったようなものだからだ。人間である以上私が考えることなんて言うのが特別でないのは当然だけど。

結局何が言いたいのかと言うと、他人には見られたいけど、見られるようには振る舞いたくないって事だ。美人って見られたくなくても見られるじゃないですか他人に。そういう風がいいです。美人だって、化粧とかオシャレとか美容に気を使ってますけど?って言われるかもしれない。私も文章に関してはそうなのですよ。化粧してます。

突然坊主とかにしちゃうモデルとか女優いるじゃないですか?ああいう感覚なんじゃないですかね。インタビューとかで、なりたくてこの仕事した訳じゃないみたいに言ってて、それなら表に出る仕事せずスーパーの品出しでもしとけよ?って思うけど、坊主にした写真はインスタにあげちゃうモデルみたいな。そういう感じの精神状態ですね今。

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