「始まり」の始まり


いよいよ、関東も「梅雨入り」だそうだが、

「梅雨」という自然現象に「始まり」が有るのは、不思議な事だと思う。

「始まり」や「終わり」等というのは、人為的な区切りで、

自然界には、そんな「スタートライン」も「エンドゾーン」も存在しない。

「海開き」というスタートラインは確かに毎年あるが、海は今まで一度も「始まりですよ~」等と言ったことは無い。

物事に「始まり」と「終わり」が有るように見えるのは、気のせいです。

この「始まり」と「終わり」という不思議なタイムラインは、いつどのように始まったのだろう。

今は、季節で言うと「初夏」とか「梅雨」などと呼ばれているが、

もちろん自然には「区切り」も「仕切り」も存在しないように

時間には「マス目」も目盛りも付いてない

そんな有りもしないモノが普遍性を持ち、定着し、認識されている以上、それが「生まれた時」と「作ったヤツ」が存在したはずだ。

 文明は、大河の付近で始まる事が多かったらしいので、

「始まり」なんて、変な事を思いついたヤツは、川の下流の方に住む「狩猟民族」だと思う。

狩場(釣り場)を少し移動すると、獲物の種類も、大きさも、味も替わる事に気付き「新しい獲物」を探す内に徐々に上流へ辿り、やがて、「源泉」を見つけた時、自分の住む川下の力強く、大量の流れを持つ下流の川の様子とは、まるで違う「雨だれ」」のような源泉の様子を見て、「これが、はじまりか~」と思わず叫んだかもしれない。こうして「始まり」は、始まった?

こうして、川の源を「始まり」河口を「終わり」と見れば、川の「流れ」には、「始まり」と「終わり」が有るよう見える。

ところで、今ぐらいの時期を「新緑の季節」とも言うが、昔に比べると「森」も「林」も、すっかり減ってしまって「新緑」を見るには、バスや電車を乗り継がないと、目にできない程、貴重なものになってしまった。

原始の地球に、最初の雨が降り、大地を潤し、川を作り、森が育ったように、「川」にも「緑」にも「始まり」は有ったのだろうが、「終わり」もあるのだろうか?「新緑」が見当たらないのは、そのせい?

さらに「人類」は?「緑」を終わらせかねないような種は、「終わる?」

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