「始まり」という幻想


前回は、世界には「始まり」は、存在しないという記事を書いてみたが、

今回は、世界には「始まりも無く始まったモノ」なら、存在するという話を書いてみようと思います。

例えば、「人類」には「始まり」は、無かった筈だ。

猿人~原人~今へと繋がる「進化」の流れの中の、どの時点を「始まり」とする事も出来ない。全ては、「進化」という一つの流れとして繋がっている現象だから、

昨日まで「原人」だったが、今日から「人類」になりました、という「始点」は有り得ない、一連の流れの中で少しずつ変わって行く「現象」の全てが、「進化」だから、「始まり」を限定することは「無意味」だ。

同じ理由で、僕は、「ビッグバン宇宙論」を、イマイチ信用出来ない。

そもそも、宇宙という現象が、まだ終わって無いのに、「始まり」が、どこか?分かる訳がない。「今」もまだ、「始まり」の途中かも知れないのだ。

「終わってない」という事は、全体像がまだ完成していない訳だから、

どこが「始まり」なのか、まだ、決まってない

前出の「人類」で例えると

「人類」という種も、また終わってない以上、今もまだ、進化の途中かも知れないので、「これからも、まだ、進化がある。」と、仮定してしまえば、

遠い未来の「ずっと進化が進んだ未来人」から見れば、

現代人は、まだ、「生まれたて」で、「進化」を始めたばかりの、原始人に近い存在かもしれない。そうなると、「今」も、まだ「始まり」の一部と言えるだろう、

「今」もまだ「始まり」の一部なら、

「始まり」の中から「始まり」が見つかる訳がない。

定説通り、時間も空間も、ビッグバンで、始まったなら、「ビッグバン」こそが、「時間の生まれた時」だから、その時点では時間はまだ無かった筈だ。「始まり」や「終わり」などというものは、「時間の大雑把な区切り」だから、時間が生まれる前の事に当てはまる訳がないから、この「始まり」を巡る問答は最初からメビウスの輪になっていて、解決不能な命題だから、そろそろ「迷宮入り」にしたら?

きっと「始まり」なんておかしな言葉が生まれた時が、物事には、「始まり」と「終り」が有るという幻想の「始まり」かもしれない。


「宇宙に始まりがある」なんて、誰かが、言い出すまでは、

「宇宙は初めから有った」と思われていただろう。

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