気まぐれ宇宙論


僕の職場は大きな公園に面し、更に、僕のデスクは窓際なので、今ぐらいの時期は、つい、手元の仕事より、窓の外の新緑に目が向いてしまうが、「色が見える」とは、不思議な現象だ。世界に色が有るから、我々類人猿は、それが見えるように進化した?それとも、我々が、光が見える動物に進化したから、光(色)は「有る」?
世界には、光を認識しない生物は、たくさんいる。身近な所では、犬や猫は色盲だし。ほとんどの哺乳類もそうだ。
光(色)が見える生物は少数派で、

地球上のほとんどの者は光を、温度として、しか知覚せず、視覚上は光(色彩)と無縁で暮らしているのに、「空は青い」とか、「雲は白い」なんて、根拠の無い幻想では?幻想なら、僕が仕事を怠り、新緑に見入っていても問題有るまい。

我々は、日頃、目に見え、手に触れて存在を確認できるものを「存在」と認識している。

なら、原始の地球に生物が発生する前の地球は「有った」?存在を認識・知覚する者が、まだ、そこにいないのに??

やはり僕には、世界とは、そこに、意識・認識が無ければ、成立しない現象のように思う。
世界つまり宇宙は、理系の連中が言う通り「ビッグバン」で始まった?
もし、そうなら、そうして発生した宇宙のどこにも、生命が生まれず、進化して、知覚を持たないままだったら、「世界が有る」とか「自分が居る」と、感じる、思える者が存在しないままでは「世界」も「存在」という概念も成立しないのでは ?と考えれば、世界は、ビッグバンだけでは、成立しない。
そこに生命が誕生し、進化して、知覚を獲得して初めて世界は、成立する筈だ。おかしな話だが、そもそも、ビッグバンが、当時、起こる確率は限りなく0に近い程、低確率で起きた、奇跡的な出来事だったらしい。また、生命の発生も、進化も、同じように「起こり得ない程低い確率で起きた奇跡」らしいです。そんな「たて続けの奇跡」に、科学的な説明がつく訳ない。奇跡は、科学の守備範囲外だから、我々にそれを理解・解明出来る訳が無い。
宇宙の究明は諦めた方が賢明だ。
科学が取り組むべき事はもっと、身近な所に山積している「環境汚染」「エネルギー・水・食」などの資源の枯渇など、宇宙の究明以前に、我々が滅んでは科学どころではない。

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