野生の時間


僕の部屋の時計は、安物だ。

安物だから、カチコチカチコチと、やたらうるさい。

時計は、実にすごい機械だとは思うが、うるさいと煩わしい。

時計が発明される前の、昔の人は太陽と月の動きだけで、時間を計っていた筈だから、我々だって、「時間を正確に知る事」は、生きる上で別に不要な筈なのに、そんな機械を、作ってしまおうと、思った奴の、その奇抜な発想が凄いね。余程の天才か変人だったち違いない。

もし、そんな天才が、ヨーロッパ以外にも、東洋にも、アフリカにも、と、世界中の、あちこちにいたら、ややこしかったに違いない。

時間の単位が、複数あったら大変だ。

時間は、どのように進んでいるか?文明ごとに違っていただろう。今の時計の進み方が、「性に合わない」と感じている僕の感覚に合う時計の進み方が、どこかで、生まれていたかも知れない。

時計という発明は、我々の「時間の感じ方」を、少なからず変えてしまったと思う。

我々、人間以外の動物にも「記憶」がある以上、彼らも、時間を、漠然とは、感じているかも知れないが、「過去」や「未来」を観念として捉えてはいないだろう。つまり、地球上で「時間」を認識しているのは我々人類だけだろう。

なにしろそれを「理解」する事は、生きる上で特に必要では無いし、生物としては不要なのだから、時間とは、我々人間だけが見ている、ただの妄想かも知れない。

さらにそれを機械にして、腕に巻き付けたりするのだから、もはや「偏執狂」だ。

時間とは我々の脳内だけを流れる特殊な現象かもしれない。

だから、正しい「時間の計り方」なんて無いのかも知れない。

いずれにせよ「機械」というのは、ヨーロッパ産の文化だ。

あらゆる摂理を人工で間に合わせ徹底的に自然を封じ込めるのは、彼らの悪い癖だ。

時間は、機械仕掛けにされる前は、「日時計」等のように、ゆっくりとしか動かなかった筈だ。

「カチコチカチコチ」と「せわしない時間」は、僕は、やっぱり嫌いだ。

時間はそんな風に整然とは、流れていない、もっと悠然とゆっくり大きく動いている気がする。

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