「新年の仕組み」を妄想する

先週、世界は、新年を迎えた、何故か「世界同時に」だった,偶然だろうか?

世界には「太陽暦」や、「太陰暦」等、様々な暦が、あった筈なのに「新年」は、何故「同時多発的」なの?

暦の起源は、きっと「古代」だろう。少なくとも最近ではない。
なら、古代人の生活に、何故「暦」が必要だったの?「朝・昼・夕」だけで、充分な気がする。

人がまだ、「狩り」で、生活していた頃は、朝は◯◯の狩場に罠を仕掛け、昼は銛で森の獲物を追い、夕方に、朝の罠を回収するといった生活の、どこに「暦」が、要る?と、考えると、農耕民族の発案に違いあるまい。

「種を撒く時期」や、「収穫期」等、彼らに「四季」や「暦」という時間管理が、必要だったのだう。

また、そうして農業が充実すれば、米や、小麦粉等は保存性が高く、一年中獲物を追う必要性が無くなり、退屈になって、「夏祭り」だの「収穫祭」や、「お正月」を始めたのかもしれない。

我々、現代の日本人は、農作物を、ほとんど輸入でまかなう「怠惰な離農の民」だから、お正月を祝う資格が無いのでは?

「大半」が、輸入なのに正月だけ三賀日のままって長過ぎない?「一日半」ぐらいが、妥当な気がするが、三賀日にも、何か根拠が有るのだろう。
日本人気質から、類推すると、

過去の事にとらわれ、ねちねちと恨みを残さず、さっぱりと過去の事を「水に流す為、「去年」を「過去」に編入する為の適切な所要期間なのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?