嘆きの怪人


僕は「江戸川乱歩」が好きで、ずっと、彼について、書いてみたいと思っていたので、書いてみます。興味の無い方はスルーして下さい。

乱歩の魅力は、「怪人」に尽きると思う。

僕は「怪人」って言葉が、なんとなく好きだ。

響きが、妙に、怪しげで、昭和レトロな感じが、格好良い。

あいにく、最近あまり聞かない単語だから 若い人には、ピンと来ないかもしれない。

昔、仮面ライダー等の「ヒーローもの」に登場する悪役は「怪人○○」だった。乱歩の話で言えば、明智小五郎率いる少年探偵団の敵も、怪人だ。

小五郎の宿敵も「怪人二十一面相」だし、そもそも、ヒーローの筈の「探偵・明智小五郎」も、ある種の「怪人」だった。

少年探偵団を率いて、悪を追い始める前の、彼は、「タバコ屋の二階に下宿する、無職の貧乏人」で、唯一の趣味が探偵小説という、

ただの「推理小説オタク」の変わり者で、身なりも、貧相で、見すぼらしく、謎めいた男で、彼自身は「正義や善悪の別」には無頓着・無関心で、

天才らしい推理力を発揮し、難事件を解決するのも、「正義の為」より「推理オタクとしての興味」によるものである事が多いような、

「清廉潔白」とは程遠い「ただの変人」として描かれていた。

つまり、彼も「怪人・明智小五郎」だったのだ。

乱歩の小説には「夜な夜な屋根裏を徘徊し、覗きに耽る男」(屋根裏の散歩者)や「椅子に入れる仕掛けを施し、家材に潜んで、或る夫人の屋敷に忍び、椅子の中に身を潜め、椅子として生きる男」(人間椅子)等、奇人・変人だらけだ。 もっとも、「人間椅子」は、そんな小説をめぐる奇譚という「小説オチ」の話だが、そんな風に乱歩の描く「普通に生きる事が苦手な怪人達」の姿は、社会的には「犯罪者」でも、小説中の登場人物としては、どこか、もの哀しく「文学的」だ。

また、小五郎と並び、昭和を代表する探偵ヒーローに、横溝正史の描く「金田一耕助」がいるが、彼もまた、フケだらけの「もじゃもじゃ頭」で、薄汚れた衣類に身を包んだ、まともな社会人には見えない、社会の落伍者のような風体である。

何故か、昭和の探偵ヒーローには、この手の奇人・変人が多い。昭和の探偵の魅力は「うだつの上がらない」感だ。あんまり、威厳あり気だと、戦前・戦中の憲兵を彷彿させるのかもしれない。

一方、彼らの対極に位置するのが、近年、登場した、スーツ姿の探偵、
 人気テレビドラマ「相棒シリーズ」主人公の「平成の名探偵・杉下右京警部殿」だが、彼もまた、放映開始当初の設定では、協調性に欠け、上司から疎まれ、部下からも慕われない「人格破綻者」で、「イギリス帰りで、紅茶をこよなく愛す「紳士気取り」の、「鼻持ちならない嫌な上司」で、「推理力だけ抜群の変人」という設定だったから、「明智小五郎」・「金田一耕助」の系譜に属す、正統派の「日本の探偵」の系譜に属すヒーローの登場を予感させる設定だったが、

彼は連載を重ねるにつれ、「清廉潔白」な正義のヒーロー色を強め、僕が望む「怪人」に育ってくれず、正義の味方に成り下がってしまって残念だ。

きっと、「時代」の影響なのだろう、不景気な上に、社会問題に溢れた「迷える時代」である「現代」には、単純明快な「正義」を振りかざす「分かりやすいヒーロー」と、一縷の曇りも無い強くシンプルな「正義」の方が求められるのだろう。

そんな風潮は、世界中で「強い指導者」が求められ、世界全体が「右傾化」しているように見える、近年の世界の動向にも、通じるものがある気がする。声高に人種蔑視を公言し「○○ファースト」と叫ぶ彼とか、ネオナチの台頭とか・・・

声高に、シンプルな、ナショナリズムを叫ぶ指導者に国民が陶酔する様子を報道で、最近よく見るが、

「平和」にとって必要なのは「正義」ではないし、「強い正義」は、むしろ危険だ。(戦前の日本も、ナチスも、自らの正義を信じて疑わなかったからこそ、悲劇を呼んだのだ。)

世界中が右傾化し始め、危険な予兆が漂う、今こそ、

明智・金田一の系譜の「冴えないヒーロー」が、僕は見たい。

「戦後」という厭戦ムードが強い時代に活躍した「強すぎる正義」を持たず、格好良すぎない、金田一・明智路線のヒーローがそろそろ必要かもしれません。

僕は、初期の乱歩が描いた、心に闇を抱えた、迷える怪人達の、妙に文学的で「いびつな姿」に共鳴してしまう、一方で、悪と戦い出してしまった小五郎は、嫌いだ。「正義」と「平和」は「水と油」だと思う。

清く正しい事だけが人として正しい姿だとは思わない。

心の有り様に正解は無い筈だ。

                ~怪人・東雲談。なんちって~

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