老化から見た「淘汰」

年をとると、以前は出来ていた事が、いつの間にか苦手になっている事が有ります。
老化現象ってヤツは、実に「人それぞれ」で、よく聞く「定番」は、老眼や、夜尿症等の「睡眠の質の悪化」等ですが、僕は、若い頃より、他者の顔や名前を覚えるのに時間がかかるようになりました。新しく出会った人の顔と名前が、いつまで経っても「うろ覚え」のままで、一致しなくて、咄嗟に出てこない事がよく有るんですが、最近、そのコツを掴み、克服出来ました。顔全体を一度に覚えようとせず、まず鼻から、その特徴を覚えると、意外と人の鼻は、それぞれに個性的な上に、顔の中央に有るから、鼻だけ見てると、全体のバランスやイメージが、把握し易い。

鉤鼻・鷲鼻・小鼻と、不思議なくらい、人の鼻は、人それぞれなのです。

ほとんどの生物は、同種同士なら、目の位置、鼻の位置や形や、大きさは、ほぼ一緒なのに、人の顔は何故こうも、バリエーション豊富なの?

進化論から類推すれば、生活環境から、身体的特徴は違って当たり前なのかもしれないが、しかし我々は、わりと似たような環境で、生活している。人類は古くは、アフリカに起源を持ち、そこから世界中へ旅立って行ったらしい。なら、わざわざ、自分達に合わない環境を選んで、暮らす筈がない。特に同じような環境で暮らす同じ種の鼻が異なるのは、不自然でない?
僕は、この「不自然」は「淘汰の一歩目」でないか?と思う。
例えば現在地球上の無数の生物達は、昔は、もっと沢山いた生物達の中から、環境に適応している為、淘汰を免れ、存続を許された者達だ。敵から逃れ、餌を捕らえ易い優れた形状の翼を持つ者や、より鋭い爪や牙を持つ者だけが生き残ったのだから、沢山の翼や牙の形が淘汰という「ふるい」に掛けられたように、我々の目鼻立ちが多様なのは、存亡を賭けた「ふるい落とし」の選考基準なのかもしれない。
つまり、人は、まだまだ未熟な生物で、更なる進歩を要す。という事かもしれない。 
優れた種に進化するには、まだまだ「淘汰」という試練を越えるべきかもしれない。
だって我々は、大地を汚し、海も汚し、空も・・と、愚行ばかりの拙いダメ生物だから、このままで良い訳がない。
現在絶賛「淘汰中」の我々を待つ未来は「進化」か「破滅」か?

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