時間という怪奇


めっきり、寒くなりましたね、僕は今ぐらいの時期が一番苦手だ。
寒さが苦手な人は、概ねそうですって?

僕はそんな単純な理由で、苦手なんじゃないです。実は「ホラーマニア」なんです。
この時期になると、その手の映画やテレビ番組や、話題がパタリと無くなるのが淋しいのです。確かに、この寒い時期に、ぞくぞく、ヒンヤリするものが、受け入れられ難いのも、分かるけど、そんな風に、ホラーが、季節に沿ったものなら、心霊現象は、怪奇というより「四季折々の風物詩」みたいで恐くないよね。

あ~、僕は、やっぱり、冬でも怪奇番組が見たい。何故もっと多くの人が、そう思わないのだろう?まぁ、仕方がない。この世には人知の及ばない事象が存在すると思わない連中が居て、彼らは、目に見えないものの存在を断じて認めないが、そんな連中さえ、 無条件に信じている「見えないもの」も、世界には、多く存在している。たとえば、「時間」だ。これは目に見えないし、触ることも出来ない
その実存を確認できないものが、「ある」とされるようになった、経緯はどのようなものだろうか?

現代では、時間は「ビッグバン」によって、空間と共に生まれたという奇妙な噂が流布しているらしいが、物理が、苦手な僕には、その噂の信憑性は解らない
この謎に満ちたものの正体とは何だろう
時間という概念を成立させているモノは、「意識」や「認識」だろう。

 認識は共有されなければ、無いと一緒だ。
このように「ないもの」が発生するには、いくつかの条件が必要だろう。
それを共有し得る仲間と、それを育む社会が土壌として必要だ。
これらの諸条件下で「時間」を作り得る環境は「農耕社会」だと思う。
朝昼晩・春夏秋冬等、時間と農作業は、密接だからだ。目に見えるものだけが実存だなんて思い込みです。ホラーでも見て学びたまえ。

毎日欠かさず、アラームをセットし、一年中 時間を気にしている農耕民族が、何故、冬だけ、ホラーを見ない?一年中見たまえ。

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