僕とゆう現象


僕の居住地区は,住宅街のわりには,閑静で住みやすいが

この「閑静」というのは,極めて珍しい現象だ。

どんなに辺鄙な、田舎に住んでも「生活音」というのは避けられない。

例えば、今、僕の部屋で、最も大きな音を出しているのは「時計の秒針」だ、カチコチと進む音が、耳障りで、仕方がない。

閑静な住宅地の中で、僕には、僕の時計の周辺だけがピンポイントで閑静でない。

以前は、冷蔵庫の調子が悪く、冷蔵庫のモーター音が、主要な生活音だった、

生活音が「家電の音」だというのは、きわめて現代的な気がする。

自然豊かな土地に住む人には「鳥のさえずり」なんて、のどかな生活音なのかもしれない、海辺の人には波の音が聞こえているかもしれない。海辺でも、海辺の「基地の街」なら、戦闘機の音の方が大きいかもしれない。そう考えると、

僕の部屋の秒針なんて、かわいいものだが、しかし、常に時計の音が聞こえていると、時間に追われているようで、落ち着かない。

時間が気になるのは、僕だけではないだろう、人は誰でもそうだ。

人間は、地球で、最も時間を気にする存在だろう

他の生物達は、おそらく、時間を知らないか、あるいは、意識してない。我々が、時間を気にするのは、時間は、「自分の分身」だからだと思う。

自分という現象は、「自分」と「時間」で成り立っている

「昨日の自分」「一昨日の自分」また、運が良ければ、「今夜も」「明日も 」多分、もうしばらくは、きっと居るかもしれない。そんな風に自分を成立させているのは「時間」であり、また、時間を成立させているのも、自分自身だから、僕にとっては秒針が、海辺の人には波の音が

「今ここに居る自分」を保証している。

また時間にとっても、時間と言う「姿かたち」の無いものを成立させているのは、時間を認識している「意識」だから、「僕と言う現象」は時間の上に成り立ち、「時間と言う現象」もまた、僕によって成立するという不思議な相互補完関係が、僕の全てだから、自分で買った安物の時計の音もまた「自分の音」なので、「うるさい」と感じるのもお門違いなのかもしれない。「時間」は、不思議だ。「僕自身」もまた不思議だ。

あ~世界は、不思議だ。

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