言葉と悲劇


朝、予定より早く起きたので、

何となくテレビをつけてみたら、「星座占い」をやっていた。

占いなんて、信じてないが、

「占い」が、「当たるかどうか」は、ともかく、「占い」には、ある種の「力」は、備わっていると、思う。

「プラシーポ効果」と呼ばれている不思議な現象がある。

決して効果が無い薬でも、「効き目が有る」と信じて、飲み続けると効果が現れる事が有るらしい。「占い」においても,同様の事が起こりうると思う。

「今日は運気が最高だ」と信じている場合と、最悪だと信じて行った行動の結果には、必ず違いが現れるものだと思う。

だから、僕は、今朝のように不意に「占い」に、遭遇した時は、一位の運勢以外の結果には、興味がない「自分の運気が良くない」という情報は不要だ。

僕は、「蟹座」なので最も良い運勢が、「蠍座」だった時は、「蟹も蠍も同じ甲殻類だから一緒だ」と思い、又、「双子座」の時は、「蟹座生まれ」と、「双子座生まれ」は、一月しか違わないから、一緒だと思い、

又、「水瓶座」等のこじつけようが無い時は、取り敢えず、その日は一日水瓶座になりすまして、しのぐ。こうしていれば、僕は毎日星座の上では、最強の運勢を手にすることが出来る。

こんな僕は、結局「占い」を信じているのか、いないのか?自分でもよく分からない。

こうして、「気分」や、「気持ち」が、行動の結果を左右する事は、しばしばあると思う。

このような現象が起こり得るのは、「占い」の効果ではなく、

「言葉」の持つ力だと思う

「良い事」を言われた時と「悪い事」とでは、人に及ぼす影響が違って当然だ。

人は言葉に、左右されやすいから、言葉が正しく使われない時代は、悲劇が起こる。


戦前、ナチスも、日本軍部も、言葉巧みに、民衆を扇動し戦火の時代を招いた。ヒトラーが、演説の達人だった事は、有名な話だ。

今は、ネットでの、匿名性に隠れて、罵詈雑言が無責任に飛び交う時代であり、

そんな、言葉のあり方と昨今の異常な犯罪の頻発は、無関係ではない気がする。

「思いと現実」「言葉と行動」は、連動していると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?