宇宙の消失

先日、JAXAとNASAが協同で打ち上げた、天文衛星「ひとみ」が通信不能になったという報道を見た、そもそも、そんな衛星が有る事さえ、知らなかったから、僕にとってその報道は、特に、大きな情報では無かったが、

この一連の出来事は「見る角度」によっては、だいぶ見え方が変わってしまう、面白い事例であるかもしれない。

例えば、この出来事を、自分自身に置き換えてみるとしよう。

衛星を人体に例えると、衛星は、「視覚情報器官」つまり「目」」に当たるだろう。

今回の故障は、電波が、通信不能になったらしいので、神経の疾患にあたるだろう

もし、その衛星が新しい星を発見しても、それがどんな光を放ち、どこにあるか、全く情報が、伝えられなければ、新発見も「新たな星」も有る事にすら、ならない。

これは、僕の視神経においても同様のはずだ。

僕が、「疲れ目」で物が滲んで二重に見えている時、目の前のコーヒーカツプ が、「二重に見えているだけ」なのか、そこにあるのが、「本当に二重になっているコーヒーカップ」なのかを、判断する事は、視神経とは、特に関係は無い。単に、普段そんな事は、起きないという常識で判断しただけだ。

見えた物が見えた通りに存在しているか、どうか?は、信用の問題に過ぎないと思う。例えば、とあるテレビ番組で、超常現象の特番を見て、そのような現象が有ると、「思う」かどうかは、実際の有無とは、無関係で、その番組を信用するかどうか?という個人の見識の問題だ

たとえば、今見ているテレビが放送事故で突然「砂嵐」になってしまった時、突然の異常気象でテレビ局が「砂嵐」によって、吹き飛ばされかけているのだろうと、心配する人がいないことも、「ひとみ」からの交信が途絶えても「ひとみ」が「神隠し」で、「消失」してしまったのではないだろうか?と思わないのは「視神経からの情報」より、「自分の経験則(今までそんなことは無かった)という過去のデータと、常識や科学知識」を信頼しているだけなのだろう。

衛星「ひとみ」が、新たな星を発見した時

地上からは見えず、衛星「ひとみ」には、見えている「星」は「有る」として良いのだろうか?自分で、見えてもいないもの」の何を信用すれば良いの?

そもそも、宇宙ってホントにある?誰か見た?

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