「世界」という病症
調べ物が有って、ネットを見ていたら、
「ネットで拾えるような情報は、流言飛語が多く、信頼性に欠ける」という趣旨の記事が有った。さて、困ったぞ。その記事の通りなら、
その記事自体も、眉唾だから、「ネットは信頼出来ない」という情報も信頼できないって事になるから、ネット記事は信用して良いんでしょ?
あ~ややこしい。綺麗なくらい、見事に、情報に踊らされてしまった。
現代は、「情報化社会」である等と、言われるが、僕は、そうは、思わない。
「情報化」という現象は、そんなに最近始まった訳ではない筈だ、
我々が、進化を始めたばかりの、遥か昔から、我々「脊椎動物」は、
世界を、目で見て、手(足・触角)に触れて、その「視覚情報」と「触覚情報」が脳に伝わり、そこで、情報処理した結果を「存在」とか「世界」と、認識しているだけだから、今さらITなんて言わなくても、生物がまだ、海の中にしか生息せず、陸地に上陸する以前から世界は、ただの情報として、存在していただけなのに、
今さら「情報化社会」なんて改めて騒がなくても、普段我々が「世界」とか「存在」と呼んでいるものも、脳の「情報処理」の結果・経過に過ぎない筈だ。
例えば、今、僕の目の前にミカンが有る。
その現象を、僕が「有る」と認識しているのは、「目に見えている」からだ。
つまり、それは「視覚情報」が脳に入力されただけだから、僕の「目」と「脳」の間で、情報の伝達が行われただけだから、僕の体内で完結した現象の筈だから「ミカンが有る」という現象は、そのミカンとは、直接関係ないとも言えるだろう。
じゃあ、今度は、指でつついてみよう「やっぱり有る」気がするが、それも、触覚情報が伝わっただけだから、もし僕が神経の病でその情報が間違っていたら、ミカンという存在は成立しない。という具合に、我々が「世界」と呼んでいるものの正体は全て「情報」にすぎないのに、今さら「情報化社会」ですか?ずっと昔からそうでしたけどね。
元々「現実」とか「世界」等と呼ばれていたものは、視覚と触感と聴覚の三次元の情報から構成されていて、そこに、今回「デジタル」という情報が、新たに加わり、四次元になっただけだ。
昔から、ある種の病には、「幻覚」を伴うものも有ったから、今までも、場合によって、「世界」という情報は、四次元までは「有り」だったのだろう。「情報化社会」なんて一時の流行り病のようなものかも知れない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?