大人の読書感想文⑧F・カフカ「変身」

また、感想文を書きます。この「大人の読書感想文」シリーズ八回目にして、初の外国文学を取り挙げます。また前回の「吾輩は猫である」同様、作品の冒頭部が、誰もが、知る程、有名な作品です。「目覚めると、巨大な虫になっていた。」で、おなじみの「変身/カフカ」です。まず、おおまかな内容から書くと、冒頭は、前述の通り、虫になってしまった主人公グレーゴルは、彼自身に、何の落ち度も無く、虫になってしまた故に、周囲(主に家族)に迷惑をかけ、疎まれ、やがて衰弱し、人に戻れないまま衰弱死する。という奇妙な話なので、終始、そんな理不尽への不条理感に作品が覆われているように感じます。

著者が、この奇妙な物語で何を描きたかったか?あまりに難解なので、
 現代人である僕は、これまでの世界の変遷(歴史)を知っているから、作品全体に蔓延する「理不尽な不条理感」を著者のカフカが、ユダヤ人である事と絡めた、解釈を試みたりと、つい、穿った見方をしてしまう。

社会の、ユダヤ人への風当たりが急変すれば、「目を覚ますと、巨大な虫になっていた」とは、「内」と「外」という、ベクトルの違いに過ぎないので、自分の変身と、社会の自分への変容は、変化の方向の相違に過ぎない。
例えば、僕が、夜寝ている間に、火星人の侵略が有って、目覚めると、世界が、一変していたら「目覚めると一匹の虫になっていた」のは、ほとんど一緒だ。自分以外の世界の全てが、変われば、自分が、変わってしまったのとほぼ一緒だ。 例えが「火星人襲来」だと、荒唐無稽に感じるかもしれないけど、ユダヤ人に対する社会の動向の急変は、実際に前世紀中(長い人類史の中では、わりと最近)に、人によって行われた悲劇だ。(アウシュビッツ)火星人が、人類ほど残虐でない事を祈るばかりだ。
我々は、人間を、もっと知るべきでは?我々は、自分達が、思っている以上に、得体の知れない、残虐な生き物かも知れない。アウシュビッツで、ユダヤ人を虐殺した者だって、自分が、そんな事をする羽目になるなんて、思ってもいなかった時代ぐらい有ったかも知れない。人は状況次第(例えば、戦時下等)で、どんな狂行にも駆られ得る。そんな内なる変容にも、留意し、注視すべきだろう、人として正しく或る為には。

 もちろん「変身」は、グレーゴルが虫になる話だから、火星人は、一切、登場いたしません。ご了承下さい。
或る朝、虫になっていた。という奇抜な物語で、カフカは何を伝えたかったのでしょう?
僕は「虫になっていた」とは、隠喩で、もっと精神的な変容を指しているように思います。 僕は、平和な時代を、のうのうと生きているから、戦地で戦ったり、誰かを虐殺したり、なんて、想像つかないが、

 もし、国中が「ユダヤ人狩り」に熱狂し、自分だけが 、それに異議を唱えると、自分自身が、家族が無事で済まないなんて極限状態に陥った際、 僕は、どう「変身」するだろう?そんな変容に抗い得るほど、僕の精神は成熟しているだろうか?

平和ボケした国の平和な時代しか知らないから、考えた事なかったけど、戦争、戦地では、実際の敵以上に「内なる敵」は厄介かもしれない。

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