時間の正体
僕は遅刻の常習犯で、今日も、寝坊で、約束に遅れると「またかよ~!いい加減な奴だ」「お前と約束すると、時間の無駄だ」とまで言われた。
僕に言わせれば「時間」なんて得体の知れない存在にそこまでこだわる方が「おかしな奴」だ。
そもそも「時間」は、そこまで、貴重で、価値が有るのだろうか?
それを、検証した上で反省するとしよう。
まずは、「時間」という目にも見えず、手に触れる事も出来ないこの不思議な物が本当に存在するか?確認してみよう。その確認が取れたら今日の遅刻の件はそれから謝ろう。
「見えない・触れられないモノ」の存在を証明するのはなかなか困難だろう。
もし、そんなものが本当に有るなら、その証拠はどこに在るだろう?
時間の存在を確認するには「過去」が「有った事」の証明が必要だろう。そんな証拠どこにある?
今日が来る前は昨日だったという「記憶」だろうか?
しかし「記憶」なんて広大な宇宙の片隅に,
たまたま、生まれた「生命」の一部の生き物にだけ、備わった脳という「へんてこな器官」が引き起こす「特殊な現象」に過ぎない、そんなもの、証拠と言えるだろうか?
ならば、時間とは、特殊生物の脳内でだけ起こる現象であるかもしれない。
「記憶」より、むしろ「記録」の方が有効な「物的証拠」だろうか?
しかし、「文字と言う現象」も、宇宙の歴史上、わりと最近の、いつ終わるか分からない「人類」と言う種の間でだけ起きた一瞬の現象に過ぎないかも知れない。ならば、「時間」という概念・及び「文字」の発案者である人類が誕生する以前の「時間」についての証拠にはならない。
何故か「時間」の正体を掴もうとすると、「記憶」とか「記録」にその「存在証明」を求めざるを得なくなる。つまり、時間と言う概念を成立させているのは「未来」と「過去」なのだろう。
未来はあるかどうかは、まだ分からない(少なくとも、今は、まだ無い)が、過去は未来から振り返って初めて成立する。つまり、時間は「まだ無いモノ」(未来)と「もうすでに無いモノ」(過去)の総称だから。結局、時間なんてどこにも存在しない幻想に過ぎないのだと、僕は思う。
「人類」とか、「世界」という視点で見ると「歴史」が発生して、分かりにくくなるので、
僕「一個人」をベースに考えると、
「昨日」という過去は、確かに「有った気がする。 それは、僕がそれを覚えているから、というだけの根拠しかない。
今、僕は、時計の秒針を見ている
カチコチ、カチコチ 音をたてながら一秒ごとに、未来がやって来て現在が過去になって行くから、時間が流れているように見えるが、一秒後の世界の存在を前提にしないと、
やはり時間は、確認出来ない。「一秒後に一秒前の自分の意識を確認出来る意識」が存在する事を、前提にしないと、「時間」は成り立たない(一秒後に隕石が降ってきて地球ごと僕が吹っ飛んでしまったら、アウトだ)から「時間」は「意識」を前提にしている筈だ。
僕の今日の遅刻の原因は「寝坊」だし、寝ている間は「意識」は無いから、時間に関する咎の対象外の筈だ。よって、謝るのは見合わせよう。
こんな話を延々とすると、こんな、めんどくせーヤツ相手にする方が「時間の無駄」だから、大抵、うやむやになる。遅刻の際の言い訳に是非どうぞ、友達は、確実に減るけど、ドンマイです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?