不思議の起源
最近、僕の記事は「不思議」という言葉の使用頻度が高い。
しかし、僕は、この「不思議」という言葉自体が、一番不思議だ。
「不思議」は、「感情」だろうか?
喜・怒・哀・楽のどれにも属さないように見えるが、
不思議だと「思う」・「感じる」のだから感情なのだろう。我々に、この「不思議」という不思議な感情が、芽生えたのはいつ、どのような経緯によるものだろう?
人は、説明が付かない事や、理由が分からない事に「不思議」を感じるから。
多分、不思議のルーツは、「狩猟民族」つまり、いわゆる「石器時代」にあると思う。
世界に、まだ言葉が誕生する以前には、「意味という概念」も「理由という現象」も、成立しない筈だから、「言葉」と「意味」と「不思議」は同時に生まれたのだろう。
「言葉」の発生も多分、彼ら(狩猟民族)の仕業だ。
効率的な狩りを行うには、緻密な戦術が、有った方が便利だ。
戦術を共有するには、詳細な伝達が、必要だ。「二手に分かれて獲物を仕掛けに追い込もう」と言う具合に「言葉」は「伝達手段」と言う「狩猟道具」としても、発達しただろう。作戦を伝達すれば「何故だ?」という「問い」が生れただろう。
となると次に説明(意味付け)が必要になり、「言葉」は「伝達手段」だけでなく「説明手段」としても、機能し始めただろうが、もともと世界には全てのもの事に、意味が有る訳では無いから説明が付かない事も、多々有り「謎」と呼ばれるようになったのかも知れない。
こうして「謎」や「不思議」は言葉によって生まれ、増え続けるのだろう。
言葉が増える度に、言葉で説明付かない事も増えるから、僕の記事に「不思議」が増えるのも、仕方ないでしょ。
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