世界の消失
初売りの福袋にマフラーが入っていた。
普段マフラーを使う習慣が無いので、
首に巻いていると、首が気になって仕方がない。
ついでに、「首」について少し考えてみた、
首ってなかなか不思議な部位だ、
不思議ではあるが、特に「必要・重要」ではない、何故なら「口と胃」「鼻と肺」が直結していれば必要無い筈だ。そんな生物も海にウジャウジャいる。
我々の祖先は、昔、太古の海をただ波に漂うだけの存在だった筈だ。
単細胞生物だった頃の我々は、細胞が、一つしか無いから、動きようがない筈だが、何かの弾みで二つ目の細胞を身に付け、多細胞生物へと進化すると、
片方の細胞がもう一方に「動け」と、指示を送り、コントロールすることが出来れば、少なくとも体をくねらせ、動くだけなら可能になっただろう。
その二つの細胞の接合部が「首」だと仮定して、「くねくね」と、そのような動きを続けていれば、その接続部位は伸びてやがて「管」の様になっても不思議はない。
そんなふうに、僕らは首を振りながら精緻な動きを獲得し、そのための複雑な神経ネットワークを獲得したのかも知れない。
やがて視神経を発達させる事で、世界は、ぼんやりと「輪郭」を現し、
さらに「可視光線」を解析し始めて、やっと世界に「色」が溢れだし、
聴覚の獲得・発達に伴い世界に「音」が溢れだした筈だと僕は思う。
色も音も形も、生物が知覚を得る以前は、世界には何も無かった筈だ。
そもそも「それ以前」って有った?生物が、知覚を発達させる前は、世界は、どこに有ったの?
そこは、誰にも認識されなくても「有った」と言える?え!「誰が」が言うの?「認識できる者」も「言う人」も居ないでしょ。
世界を成立させているのは、やはり「知覚」だと思う。
見えない「色・形」は「無いのと一緒だし誰にも聞こえない「音」も無いのと一緒では?
生物が知覚を得る以前の世界は、どこに有ったのだろう?
太古の時代に「世界」なんて本当に存在した?
そもそも、「有る」とか「無い」とか「存在」なんて所詮、人が見つけた(作った)概念でしょ?
そんな現象本当に存在する?
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