世界という情報


現代は「情報化社会」である。等と、よく聞く。

確かにそうかも知れないが、「今さら?」って気もする。

現代社会どころか、太古の原始時代から、そうだった筈だ。

僕は先日、映画を見に行った。
僕は身体障害者なので「障害者手帳」を提示すると、料金が割引になるから、手帳を提出して、割引料金で、見てきたが、その数日後、その映画館から、「割引券」が、送られてきた。僕は特に、会員登録もしてないのに、

何故僕の住所が分かったのだろう?帰り道を尾行された訳でもあるまい。


どう考えても、手帳から漏れた情報だろう。しかし、障害者手帳の住所の表記は1ページ目でなく、一番最後だから、手帳に有る全データをコピーされたのかも知れない。
個人情報に、うるさい昨今、そこまでする?しかし、僕は、次に映画館に行く時も、「障害者手帳」で割り引いて もらえるから、届いた割引券は使う事はないだろう。

僕の住所情報漏洩は、誰の役にも立って無さそうだ。

「情報化社会」とは、無駄な情報が、多すぎて、効率の悪い社会の事だろうか?
いちいち「情報化社会」なんて呼ばなくたって「社会」以前に「世界」とは、「情報の総称」に過ぎない。

試しに、屋外へ出てみると、青空の下に、たくさんの建物が立ち並んでいる。空が青いのも、建物が並んでいるのが分かるのも、「視覚情報」によるものだし、足下に地面が有るのも、足裏の触覚情報だから、
我々が世界と呼んでいるものは、実体ではなく、ただの情報の筈だ。
そう考えると、最初は単細胞だった生物が、何億年もかけて、知覚(情報処理系)を宿す程、高度な進化を遂げる以前の世界は、どこに有ったのだろう。世界は、生物の進化と共に、発生・進化してきたのではないだろうか?


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