近眼リアリティー

 

現代人の三人に一人は、近眼らしいです。
残りの二人の健康な視力の人は、「近眼なんて不便だろう。」と、想像するかもしれないけど、
実は、近眼でないと、見えない物も有るから、案外、便利です。

ちなみに僕は、昔から近眼だったので、普段は眼鏡を掛けているが、夜、寝る時は、外すので、朝起きた時は、メガネしてないから、視界が、霞み、周囲が、ぼんやり、滲んで、ボヤけて見えるが、その状態こそ、「ありのままの世界」の筈だ。何故なら、世界(地球)が誕生したばかりの頃は、生物が、発生してないから、生物が進化を始めるまでは、視覚を持つ者は存在しないから、ぼんやり、ぼやけているのが、真の世界の姿の筈だ。

だって「くっきり、はっきり見える」という現象は「見る主体」が存在しないと、成立しない。だったら、生物の発生・進化(視力の獲得)以前にあてはまらない。つまり、世界という現象は、生物の発生・進化を前提として成立している。という、ややこしい話になってしまう。

ところで、地球に生命が発生した、きっかけは、たまたま飛来した隕石が、宇宙から運んだ有機物が基となり、誕生したと言う説が有力らしい。

だったら、朝、寝ぼけ眼のまま、眼鏡を掛ける前に、ぼんやりした周囲を見渡し「ここが地球か、辺鄙な所だ!」なんて戯れてみれば、その太古の有機物の気分が、味わえ、太古の世界の疑似体験ができるのです。羨ましい? 近眼でない方、視力が健全だなんて、お気の毒です。

だって、近眼の僕が、見ているボンヤリした世界と、目の良い人に見えている、はっきり、くっきりした世界のどちらかを「世界の真の姿」と決める事もできなきゃ、近眼の僕には、メガネが有るから、それを、掛けたり、外したりするだけで、両方の世界が見えるから、近眼の僕の方が、真理に近い所が、見えている筈だ。逆に目の良い方は、遠い所は、無駄に見えたって、リアルな世界には、ピントが、ずれてますよ。

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