僕の浴室の時空が歪んで困ってます。

僕は、ずっと「シャワーラジカセ」を愛用していた。防水加工の施されたラジカセで、浴室で音楽が楽しめるという、なかなか便利なシロモノで、毎晩使っていた。のんびり湯船に浸って好きな音楽を堪能できて、なかなか贅沢な時間の過ごし方が味わえて重宝していたが、 先日、そのラジカセが壊れてしまった。 たかが、ラジカセ一台壊れただけで、SF映画や漫画でしか見ないような、天変地異レベルの超常現象に遭遇してしまった。

今まで僕の入浴は、頭を洗い→体も洗い→ラジカセのスイッチを押し→湯船に浸る。と、やる事が、いっぱいで、せわしなかったのだが、今回のラジカセの故障で、急に浴室でやる事が減ってしまったので、それまで浴室で過ごしていた時間と「体感的経過速度」が、まるで、変わってしまった。
湯船から手を伸ばし、ラジカセを操作して、CDを再生したり、曲をスキップしたり、ラジオに切り替えてみたり、等とあれこれしながら過ごしていると、時間は「あっという間」に過ぎてしまうが、故障で、あれこれ操作する対象が無くなったので、湯船で、ただ、ひたすらボーっとしているだけだと、それまでの、あれこれしながら「あっという間」に感じていた時間が速度を変えたように感じる。 こんな風に、過し方次第で、時間は、速く過ぎて行ったように感じたり、遅く感じたり、するのは何故だろう? つまり、楽しい時間は「あっという間」に感じたり、待ち時間など、辛い時間は長く感じたりするのが不思議です。
そもそも我々、類人猿は、獰猛な補食獣から、木の上をキーキー鳴きながら逃げ廻る「ひ弱な弱者」だったのだから、のんびりしている暇なんて無かった筈だ。


 獰猛な天敵に警戒しながら、自らも樹上の木の実や虫を補食していたら、常に八方に気を配り、忙しく過ごしていた筈だから、時間の「体感速度」は速く、毎日が「あっという間」だった筈だ。しかし現代、状況次第で、時間は、速くも、遅くも、感じるのだから、
まだ時間が「あっという間」だった頃と、そうでなくなった頃というターニングポイントが有った筈だ。僕は、きっと、それは、獰猛な敵の攻撃を防ぐ罠や、退ける武器を発明した頃~つまり文明の黎明期か、危険の多い山での狩猟生活を離れ、里で農耕を始めた時期つまり、日本で言うと、ジブリアニメで、宮崎監督が「もののけ姫」で描いたような、縄文~弥生への転換期の頃が時間の転換期でもあったのではないだろうか?と思う。
何故なら獲物を追ったり敵に追われたりする時間と、春に植えた稲をじっくり育て、秋に収穫する農耕民族の時間感覚が同じ訳がないと思うからです。

そもそも誰かが、時間という概念を提案・発見する以前には、時間は、速く感じたり、遅くなったりしなかった筈だと思います。

何故なら、原始社会で、時間に該当するのは「太陽の動き」だと思うのです。「太陽が、あの山の中腹まで登った頃、猟に出発しよう。」って具合だ。その頃から、時間を速く感じたり、遅く感じたりしていたら「今日の太陽の登り方は、やけに遅いぞ・早いぞ」なんて、おかしなことになってしまうし、いくら原始人だって、それはおかしいと、気づいたと思います。ここまでの、検証から類推すると、時間の感覚が状況次第で変動するのは、「現代病」なのかもしれませんね。

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