猫の時間


休日を良い事に、朝から、のんびりしていたら、いつの間にか、昼が過ぎ、夕方になっていた。

時計は、いつも同じ速度で進んでいるが、僕が、それに合わせなければいけない理由は、無いのに、一日を無為に過ごしてしまうと、何故か罪悪感を感じてしまうのは不思議だ。

そもそも、我々が、普段「時間」と認識している物は、決して「自然の時間」ではない。

朝はやがて昼になり、いずれ夜が来る。春は夏に・・「命は徐々に衰え、いずれ死を・・・」自然の時間とは、それだけだ。

60秒を1分とし、60分を1時間とし、1日は24時間である。

そんなものは、僕が生まれる遥か昔に、誰かが勝手に決めたルールだから、「そんなもの知ったこっちゃない」と言いたいところだが、

あいにく、社会が、そのテンポで、進んでいるから、仕方がない。バスも電車も僕の都合で来てくれない。休日ぐらい時間に縛られず、過ごしたいものだが、社会が、それを許さない。

ところで、最近、世界的に「猫ブーム」らしいですね。

きっと、みんなが、猫達に「癒し」を覚えるのは、彼らが、可愛いだけではなく、彼らのノンビリ生きている様子が、羨ましいのだと思う。

彼らは、ヒトより、寿命が短い筈なのに、ちっとも焦った様子がない。休日まで、時計を気にしているような、小心者より、彼らの方が時間の本質を知っているのかもしれない。

彼らが知っている時間は、「天然物」で、一方僕らを縛っている時間は、「人工の模造品」にすぎないから、「バッタもん」に縛られる窮屈さを、

猫を愛でて、紛わしているのだろう。そんな哀れな、現代人の分も、猫たちは、精一杯のんびりしてくれているのかも知れない。

一方現代人は、幼い頃から、「早く〇〇しなさい」「〇時までに、お風呂に入りなさい」「〇時に寝なさい」と時計に刻まれた時間しか教えられないから、「自然の時間」ではなく「社会の時間」で、生きる事を強要されている。

猫は、一日中アクビばかりして、呑気そうで、時間なんて全く気にしていない様子だが、

本来、時間は、「時」だの「分」だの「秒」等と整然と綺麗に配列されてはいないから、我々が、普段「時間」と呼んでいるものが、有りもしない「幻想」なのだろう。

有りもしない物をでっち上げ、勝手に縛られ、勝手に窮屈な生き方をしている。

人類の「悪いクセ」が、また出てる。そんな「愚かさ」を、写す鏡として、猫は「うってつけ」なのだろう。

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