春の待ち方

先日ホームセンターへ行った。買い物中に、見かけたチューリップの球根が、不意に欲しくなり買ってしまった。これで「春を待つ楽しみ」が出来たと思えば「春の準備」と捉える事も出来るが、その楽しみを胸に寒さを凌げるかも?と思えば、これは「冬の備え」かも知れない。わざわざ業者を呼んでエアコンの手いれをするより、只の衝動買いで、手軽な冬の備えが出来て良かった。秋の「もみじがり」とか、春の花見、夏の花火みたいに、その季節ならではの楽しみ・味わいが有れば良いのだけど、

まだまだ寒くなりだした矢先に春の話なんて早い?「備え有れば、憂い無し」って言うくらいだから「備え」は、早すぎるくらいで、ちょぅど良いだろう。たとえば、冷たい雨の日が続く時こそ「晴れたら、○○したいな~」って思うように、冬の味わいも、春の楽しみも「まだ遠い今」だからこそ探し易いのでは?

やっぱり、冬はコタツで、みかん・干しイも・干し柿だろう。
一方の春の風情と言いえば「つくし」とか「ぜんまい」等←最近の若い世代の方は、知らないかもしれないけど、食べれるんだよ。 昔、春は、その為に「山菜採り」って、わざわざ山へ行ってまで、採ってきて、料理したんです。そんな古い昭和の春は、廃れてしまって、かろうじてタケノコは、スーパーで見かけるけど、我々が環境を汚染し、絶滅危惧種を増やして行くスピードを鑑みれば、タケノコも時間の問題だろう。
タケノコも、この星も、・・我々も、←自業自得?春どころの騒ぎじゃないですね。

環境や、SDGsとかって、只、目の前の利益だけでなく、今日の生活だけでなく、広い視野を持って己を律する事が出来る優れた生物に我々が、進歩する必要が有るのでは?このまま地球に害を為し続け、他の種に迷惑な生き方(営利と便利の為だけのやみくもな科学開発)を止めないと、そのうち春も来てくれないほど、環境悪化が進んでしまいますよね。

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