時間の発生


また、遅刻をしてしまった。

遅れないようにと、朝早く起きて、早めにバス停に着き、バスを待ったが、こんな時に限って、予定通りバスが来ない。気を揉めば、揉むほど、待ち時間は長く感じ、焦ったり、気を揉んだりと、気苦労をするから、今日の遅刻で僕に待たされた相手より、僕の方が、遥かに大変な想いをしたのに、

やはり、非難されたので、ひとつ、言い訳をしよう。

アインシュタインに言わせれば、「時間は相対的である」らしい

「ビッグバン宇宙論」によれば「宇宙にも、時間にも、始まりが有った」らしいが、

僕に言わせれば、どちらも「眉唾」だ。

「時間」とは、実体ではなく、「概念」にすぎないので、

それが生まれた事というのも、物理現象ではなく、以下のような経緯による、人為的に、起きたものだった筈だ。

昔、ある古代人の一人が「朝を昼に変える物の正体」や「春が夏になる現象」を「時間って呼ぶ事にしよーぜ」と、言い出し、その提案が、社会の承認を得て普遍化し、

その後、科学者と呼ばれる、奇抜なオッサン・オバハン達が、「時間は宇宙と共に生まれた、物理現象である。」という方向で話を、まとめてしまっただけなので、時間が存在する、のではなく、その概念が。提案され、受け入れられただけなので、「時間が生まれた時」とは、「その認識が始まった時」の事で、

この世のあらゆる現象の中から、現在「時間」と呼ばれている現象を限定し、名前を付けただけなので、「認識」の問題に過ぎない。

例えば、今、僕の手元のコーヒーカップに、ミルクを落とす場合、「ミルクポットからミルクが零れ、コーヒーの表面に着水し、広がり出す」という一連の動きの中の、どの時点を、僕がミルクを 入れた「瞬間」と認識するか?は主観的な判断に過ぎないから、認識の問題に過ぎないように、時間という「認識」が無ければ、時間という現象は、成立しない。

「今」という「認識」・「過去」という「記憶」、「未来」という「予測」が無ければ時間は成立しないから、決して実体では無く意識の中でだけ起きている現象である、と見る事も出来るから、

時間を成立させているのは、「物理法則」ではなく「人の意識」かも知れない。

そんな存在すら、怪しい物の為に僕を非難するのは止めていただきたい。


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