脱自アンテナ


外出から、アパートへ戻ると、ポケットに入っている筈の自室の鍵が見当たらず、紛失したようで、自室に入れず、鍵屋に助けを求める電話をすると、すぐに来てくれるという話になり、車で、すぐ行きます。「鍵のトラブルおまかせ下さい」と書かれた車なので一目で分かると思います。との事だが、顔に太字で「トホホ」と書かれ佇んでいる男の元に、そんなロゴの車で来られては、何が「トホホ」なのか、バレバレで格好悪い。

生まれつき、重度の「うっかり者」だ。「重度の」というのは、自分がうっかり者である事をうっかり忘れて、前述のような、無様な醜態を晒す事です。

こんな時、僕は、つくづく、類人猿は不便な生き物だと思う。我々類人猿の目は顔の中に、前向きに付いているし、また、我々に限らず、生き物全般の知覚は世界を把握し、補食し、補食されない為に機能するから、自分自身は自分で知覚出来ないから、僕が自身をうっかり者だと自覚できなのも、当然至極だろう。

知覚は生物によって、それぞれ異なる。例えば、我々は可視光しか見えないが、昆虫の視角は高性能で、我々に見えない赤外線や、紫外線も知覚出来るらしい。

それなら、我々が有史以来「世界」と呼んでいる物は「知覚に劣る我々でも、知覚出来る範囲の世界の断片って事にならない?

かつてガガーリンは、宇宙から地球を見て、つい、うっかり「地球は青かった」と、言ってしまったらしいが、それを昆虫達が聞いたら「青しか見えないなんて、猿の目は気の毒だ」と、憐れんでくれるかもしれない。

話は変わりますが、近所に図書館が有るので、週末に散歩がてら、立ち寄るが、あくまで「散歩のついで」だから、欲しい資料や、調べものが有る訳じゃないから、ガッツリ目的を持って訪ねる訳じゃなく、ふらり立ち寄るだけだ。

そんな週末の図書館の醍醐味は、普段は読まないようなジャンルの書架に有ると、僕は思う。
人は、誰しも、自分の興味や、趣味・趣向に合わない情報には、関心を示さないものだ。つまり「自分の好み」という小さなアンテナで過ごしている。そのアンテナにかからない情報に触れる事でアンテナが拡がれば、そこにより良い生のヒントが拾えたら儲けものだ。図書館なら、どうせ無料だしね。

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