くるみ割り介護ロボ

先日読んだ、ある経済記事によると、日本のAI技術は、先進国の中で、かなり立ち遅れているらしい。かつて日本は、テクノロジー最先端の国だった筈なのに、何故? いつの間にテクノロジー後進国状態になっていたの?
このままじゃ、いかんでしょ!少子高齢化の現状を慮れば、高齢化社会の医療の現場・介護の現場の人手不足はAIで補うしか無い筈だから、AI技術の向上は、国策として取り組むべきでは?
僕も若くはないから、
「一人に一台の介護ロボ」なんて実現したら、助かります。
話は変わりますが、高齢者の「記憶」が不安定なのは、皆様も、ご存知の通りで「もの忘れ」「勘違い・記憶違い」は、お年寄りの、得意技ですが、僕には、なんと「もの忘れ」どころか「もの思い出し」なんて、不思議な現象が起こる事か、あります

高齢に達すと、何の脈絡も、キッカケも無く、古い経験や、幼い頃の事などを、ふと思い出したりする事が、しばしば有ります。僕は昔「くるみ割り人形」に興味を抱いていた。父がクラシック音楽の愛好家だったので、家に有ったチャイコフスキーのレコード「くるみ割り人形」の文字を見て「どんな人形だろう?」と興味を持ったが、だからと言ってネットで手軽に調べるなんて、そんなテクノロジーツールが、まだ無かった時代だったから、そんな些細な疑問を調べに、わざわざ図書館へ行くのも億劫で「どんな人形だろう?」の続きは、空想で補うしか無かった「家人が寝静まった深夜に、無人のキッチンで、くるみを漁り、ひとつ割っては、ケタケタ笑い、も一つ割っては、舞い踊り」なんて面妖な人形を想像していた事を、ふと思い出し、今度は、ネットでリアルな「くるみ割り人形」を調べてみた。もちろん「くるみ割り人形」は、手動だった。人形の口を開き、そこにくるみをはさみ、手で閉じ、パキンとくるみを割る。なんとも味気ない代物だった。人形が自ら割るのでないから、さしずめ「くるみ割らされ人形」ってところだ。

話をチャイコフスキーに戻しますと、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」と言えば、歌劇オペラとしてだけでなく、バレエの演目や、舞台劇としても有名ですが、その詳しい内容も、知らなかったので、ついでに調べてみると、クリスマスに貰った、くるみ割り人形が、王子様になり「お菓子の国」へ連れて行ってくれる。というファンタジーだった。やはり、ここでも、くるみ割り人形は、一向に、くるみを割らない。やはり、AIでも搭載して強制的に割らせねば、らちがない。日本の技術者の皆様、ぜひ、彼に力を授けて下さいませ。
さぁ人形よ、思う存分くるみを割るが良い。
将来、僕の介護ロボは、くるみ割り人形タイプにして貰おう。 介護して貰う度に、チップ代わりに、くるみを与え、それを割っては、共にケタケタ笑い、踊り明かして日々を過ごせば、なかなか、楽しく素敵な老後が送れそうです。

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