老い先短し、なに喰お?初老


僕には複数の基礎疾患が有る。故に、食事には、かなり気を遣っている。血糖・尿酸・コレステロール等と、何を、どれだけ口にするか?という制約が有る上に、
僕は体が不自由なので「障害年金」を受給している。つまり、年金生活者だから、バリバリの貧困層だ。少なくともセレブじゃないから、食費の上限という切実な制限も有るけど、 昔、まだ若く、体も健康で、収入も、そこそこ有った頃より、貧しい生活を強いられているか?というと、そうでもなく、制約が有るからこそ、豊かに、生きている。

たとえば「今日は、ひさびさの外食だ」なんて日は、毎日外食している裕福な方より、「外食」という「行為そのもの」の価値が高く、外食に出向く玄関先の一歩目から、テンションMaxで、すでにご機嫌だから、豪華な三星レストランじゃない、ありふれた街の鄙びた定食屋の「チャーハンセット」が、三星のフルコースに匹敵する程美味しく感じ、そこに、至高の贅沢を感じる。

また、外食に限らず、自炊の際も、米の炊き加減にも細心の注意を払い水の分量を1ミリグラム単位で、こだわり、ピッタリ自分好みに仕上げ、味噌汁も具材とダシと味噌それぞれの相性まで考慮し、こだわり抜いた一杯を仕上げるのだが、

長い貧困生活で、裕さの基準も、美味しさのハードルも、下がりきっているから、そんな些細な贅沢にも豊かさを感じたり、満足したり出来る。若くない上に、健康でもなく、摂取量も、予算も、限られているからこそ毎食、熟慮し、「さて、今夜は何を喰おう?」とワクワクしながら、検討し、しっかり丁寧に味わう習慣が着いている上に、先に記した「ハードルの低さ」も有るので、その相乗効果で、制約・制限まみれの割には満ち足りた食生活を送れている。 

食すメニューや、食材は、セレブに、かなわなくても、質素ながらも、そこから得る「満足度」は負けてない気がします。「豊さ」とは物理現象でなく心理現象である事は、「豊かさ」に満たされていると、気付き難いものですが、 僕は、裕福じゃないから、そのアンテナの感度が良いと、勝手に思っています。「豊かになる」は、容易じゃないけど、「豊かに生きる」は、心がけ次第でしょう。

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