老眼デモクラシー


数年前から、老眼が、悪化し、手元が見難い。
若い人には、ピンとこないだろうが、眼の老化というのは、実に厄介だ、
単に不便なだけでなく、視力が変われば、世界という言葉の意味まで、見失う事さえ有ります。

話は変わりますが、米・ソが、宇宙科学技術を競い合っていた頃「宇宙犬」と呼ばれた、犬達がいた。ロケットに乗せられ、宇宙での健康状態を観察する為、飛行士と供に登乗し、宇宙に行った犬達の事だが、犬は色盲だから、ガガーリンの「地球は青かった」って言葉に対し「白黒じゃねーか!」と、ツッコミを入れたかも知れない。犬に限らず地球上には、人と違う視覚や、知覚を持つ生物の方が多いのだから、それぞれの生き物ごとにそれぞれの世界像が有る筈だ。

老眼の僕と、若く健康な眼の方とは、かなり世界の見え方は違っているのに、そのどちらも、「世界」なの?また、前述の犬に話を戻すと、彼らは色盲である代わりに、我々より、優れた耳と鼻が有るから、彼らの住む世界は、色が無い代わりに、音と匂いに溢れているだろう。こうしてそれぞれの生物に、それぞれの知覚が有り、それぞれに世界を自分の知覚で捉えている筈だ。現在世界には137万種の生物が居るらしい。先程、犬で例えた通り、それぞれの生物がそれぞれの知覚で世界を捉えている。つまり、我々が日頃、世界と呼んでいるのは、その「137万分の1」に過ぎない。きっと、世界は我々が思うより広いのだろう。老眼でピントがボケて見えるのは、老い・衰えではなく、年を重ね、経験値が増えた事で、世界が正しく見えるようになったのかもしれない。

老眼の僕には、よく見えないが、地球には眼がない生物だってたくさんいるし、むしろ、眼が有る生き物が、登場したのは、長い地球の歴史の中で、わりと最近だろう。
僕は生まれも、育ちも、日本の為か、民主主義ってヤツを、それなりに信用している。多数決は、物事を決する上で、効果的だと思う。可視光を見れて、世界をくっきり、鮮明に識別している者は少数派なら、世界はそんな姿はしてないのでは?137万種の全生物で世界の姿とは?って、多数決で決めれば、我々の負けだ。そもそも、世界には「正しい視点」なんて有り得ない。

そもそも、もし、地球上で多様に進化を始めた生物が、一匹たりとも視覚も、触覚も獲得しなかったら、世界は、成立しないし、存在という概念も同様だ。と考えれば、世界をもたらしたのは「生物の進化」では?じゃあ、その進化はどこで有ったの? 世界?本当に、そんなもの有る?僕は何処に居る?まったく世界は、不思議だらけだ。
最近、情報番組で、よく「高齢化社会」なんて表現を聞くけど、高齢化が、もっと進み、全人類の九割以上が老眼になったら「世界は歪んで滲んでいる」のが、皆に見えているいつもの姿って事になるよね。じゃあ、それが高齢化社会における世界の姿?
よく、二次元とか、三次元なんて表現が有るけど、世界には137万種もの生物が居て、それぞれの生物にそれぞれの知覚が有り、それぞれ別の姿で世界を捉えているので、一~四次元どころではなく、世界は、137万次元とも、言えるだろう我々の手に負える代物でない。
と、老眼で世界を見ると、「世界とは何ぞや?」が、止まらない。
眼の健やかな皆様は、分かりやすい世界にお住まいで、羨ましい。

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