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宗教的偏見によって蔑ろにされる「信教の自由」 アーロン・ローズ氏

今年1月に行われた国連人権理事会の第42回普遍的・定期的レビュー(UPR=Universal Periodic Review)のワーキンググループ会合に合わせ、UPF欧州・中東では今年1月31日、国連NGO「良心の自由のための団体と個人の連携」(CAP-LC)と共催で信教の自由をテーマとしたサイドイベントを開催しました。
UPF-Japanではこのほど、同イベントの模様をまとめた開催レポートを発行しました。
本サイトで、その講演内容をご紹介します。今回は、欧州宗教自由フォーラム代表理事のアーロン・ローズ氏です。

 10 年以上前、東京で開かれた人権をテーマとする会議に参加していたとき、私は統一教会(当時=現・世界平和統一家庭連合)のメンバーから、彼らに対して行われた犯罪行為を、日本の公的機関がどのように無視しているかについて聞く機会がありました。ウィリー・フォートレー氏(※ p20 参照)とその関係者による綿密かつ公平な調査により、日本での国際的な法的人権義務の違反に関する客観的な記録が提供され、これらは国連人権委員会やその他の国際機関への報告書として提出されました。
 これらの報告に対する日本の当局の反応は、概して否定、妨害、および偽装のいずれかでした。
 人権擁護者として、私は政府の行動が、その管轄区域内で当局が個人の自由をいかにして保護すべきかを定義する普遍的な基準にどのように適合しているかに関心を持つようにしています。地方および国の当局がその義務を放棄する理由は、政治文化や信教の自由の保護に関する宗教的伝統などの複雑な問題があるからです。とはいえ、文化が基本的な自由を侵害する言い訳にはなりません。私たちは、「第1の自由」と考える信教の自由に特別な注意を払っていますが、逆説的に言えば、このような人権慣行の分野は宗教的偏見そのものによってしばしば傍観者に追いやられる分野です。ある宗教運動で迫害されている人々を守る際に、同僚が「彼らは狂っている」といって抵抗したことを私は鮮明に覚えています。
 私たちは、日本における信教の自由への大規模な攻撃について、特に家庭連合について話すためにここにいます。私はこの機会を利用して、日本の政府と市民社会双方の指導者に、家庭連合に関係する人々のみならず、他のマイノリティのメンバーを脅かす明白で根深い偏見と不寛容に対処するための積極的な措置を講じるよう訴えたいと思います。
 安倍元首相の暗殺は、日本にとって、そして民主主義、人権重視、平和主義を標榜する国家共同体にとって恐ろしい悲劇でした。特に暴力を拒否し、国内外で調和のとれた関係を求めるすべての日本人に衝撃を与えました。
 日本は、自由主義的な国際秩序に積極的に貢献し、人権原則を一般的に責任を持って遵守している点で、国連加盟国の中で際立っています。
 しかし、すべての自由民主主義国家は人権に関して暗い側面を有しています。家庭連合に対する偏見の醜い波と差別的な行政措置が、そうした点に当たることは間違いありません。
 安倍元首相の暗殺者は、家庭連合の関連組織として設立されたNGO であるUPFへの協力について安倍氏を非難しました。
 マッシモ・イントロヴィニエ氏が指摘したように、暗殺の余波で、家庭連合とその関連団体が広くその責任を問われる一方、犯人の個人的な責任への言及は影を潜めています。
 イントロヴィニエ氏によれば、

 「もし暗殺者の母親が莫大な寄付をしていなかったら、息子は安倍氏を恨むことはなかっただろうし、彼を殺すことはなかっただろう」という歪んだ論法が用いられた。その後、暗殺者はほとんど忘れられ、メディアと政府による家庭連合を標的とした全国的なキャンペーンが続き、この宗教団体を解散させることを目的にした法的措置につながる公式的な調査へと至っている。

 安倍元首相の殺害について旧統一教会を非難し、スケープゴートにし、迫害することは、宗教的不寛容が暴力的で悲劇的な結果をもたらし、暴徒の精神とさらなる不寛容を生み出すために公の物語でねじ曲げられた例の1つです。
 日本の当局が信教の自由を擁護するどころか、旧統一教会の権威を失墜させ、その機能を失わせ、日本での存在そのものを終わらせることを目的とした準法的な措置によって、民衆の偏見と共産党が生み出したプロパガンダをなだめたことは極めて遺憾なことです。NGO団体CAP-LC が国連人権委員会に提出した文書によれば、彼らは活動家のネットワークの影響下に偏った公式的な「専門家委員会」を設立し、その明白な目的は「政府を説得して(教会)を解散させること、寄付を集める能力を制限すること、(信者である)両親が教会の信仰で子供を育てたことを児童虐待として有罪とする法律を制定すること」であるといいます。これらの行動が非差別の原則に違反していることは明らかであり、国連の市民的および政治的権利に関する国際規約の信教の自由基準にも違反しています。
 さらに憂慮すべきことは、物理的な安全に対する数多くの脅威と、旧統一教会の信者に対する物理的な攻撃です。
 私は、物議を醸す話題についての言論を制限するヘイトスピーチ対策法に懐疑的です。ヘイトスピーチに対する解毒剤は、より多くのスピーチと市民社会における道徳教育です。しかし、暴力への明らかな扇動が断罪されなければならないことは常識です。実際のヘイトクライムにつながるのはヘイトスピーチです。
 日本の平和的で合法的な宗教団体のメンバーが、追放、死、暴力の脅威にさらされていることは耐えがたいことです。人権擁護に取り組んでいる私の同僚は、「愛知、北海道、大阪の家庭連合の支部が殺害の脅迫を受けた。奈良では、牧師を殺害するとの脅迫があったと警察に報告されたため、地元の教会は予防措置として教会を閉鎖した」という報告を聞いています。
 UPR での出来事や、このエピソードが始まってからのことを考えると、日本の当局やメディアは説明責任を果たしていないように思えます。なぜ、日本の友人やパートナーは懸念を表明しないのでしょう。なぜ、主要な人権団体は懸念を表明しないのでしょうか。詳細はわかりませんが、日本がパートナーであり、援助国であるからでしょう。豊かな国は人権侵害の免罪符を買えるのでしょうか。もし、こうしたことが小さな弱小国で起こっていたら、国際社会は大きな声で批判を口にしたことでしょう。法の支配、そして自由主義の中心的な原則は、定められた基準が偏見なく均一に適用される必要があるということです。
 民主的な文化、人道的価値観、平和と福祉への積極的な国際貢献で有名な国連加盟国で、こうした行為が平然と行われていることに違和感と苦痛を覚えます。このことを国際機関に注意喚起すると同時に、日本の指導者たちにも勇気を持って公正で、宗教的不寛容に対処するための積極的な措置を講じるよう求めます。私もいつでもお手伝いできればと思っています。

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