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欧州NGOが規約人権委員会に報告書

家庭連合・友好団体叩きは自由権規約違反

<世界思想2022年12月号から>

安倍晋三元首相銃撃事件を機に、世界平和統一家庭連合(略称・家庭連合=旧統一教会)の法人としての権利と、その信者ならびに友好団体(関連団体)の活動・イベントに参加した個人としての権利が侵害されているとして、国連経済社会理事会(ECOSOC)の協議資格を持つ欧州のNGO「良心の自由のための団体と個人の連携」(CAP—LC)がこのほど、国連自由権規約人権委員会に報告書を提出した。ここでは、その中からUPFに関連する部分を紹介する。

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2022年7月8日、日本の奈良で安倍晋三元首相が暗殺された後、現在は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への不寛容、差別、そして迫害のキャンペーンが起こっている。このキャンペーンの過程で、日本の旧統一教会の信者たちの人権は、深刻に、組織的に、そしてあからさまに侵害された。

自由権規約第25条の違反

2022年8月11〜15日にかけて、天宙平和連合(UPF)は韓国ソウルで「サミットおよび指導者会議2022」を開催した。UPFは公式的には旧統一教会から独立した組織であるが、どちらも創設者は同じであり、故文鮮明師とその夫人によって創設された。この会議でプレゼンや講義を行ったものの中には(その他にビデオで参加した者たちもいたが)、マイク・ポンペオ、ニュート・ギングリッチなどの著名なアメリカの政治家たちもいた。それは純粋な保守の集まりではなく、世界中から何十人もの閣僚およびあらゆる種類の政治信条の人々が集まっていた。

登壇者全員がUPFだけでなく、とりわけ文師夫妻の世界平和に対する業績に感謝の意を表した。日本ではメディアや一部政治家がUPFの会合に出席した政治家に対する粛清や立法化を提案していることをおそらく彼らは知っていたであろうが、それを気に留めはしなかった。実際に何人かの講演者たちは、日本で起きていることへの懸念を表明した。(現在日本で起きていることは)ジェンダー、民族、あるいは宗教に関わらず、すべての市民が政治に参加する権利を保障する自由権規約第25条に対するあからさまな違反である。

旧統一教会に対する日本の反対派は、UPFおよび旧統一教会に関連したその他の組織のイベントに参加した日本の政治家を名指して恥をかかせるリストを発表した。彼らはこれら政治家に対し、これらの組織との関係を断つと公言するよう要求し、閣僚に対しては辞任まで要求した。

〝都市伝説〟も日本において拡散され、ファクトチェックもなしに国際的なメディアで報道された。そのうちの1つが、安倍氏の祖父である岸信介元首相(1896—1987)が、彼の保守的なアジェンダを支援してもらうことを望んで、統一教会を韓国から日本に導入して拡散させたというものである。この主張は誤りである。韓国の宣教師が日本に旧統一教会をもたらしたのは1959年であり、それは日本のメンバーが岸氏に会った60年代半ばよりも、かなり前のことである。

一部メディアが主張している、与党自民党が選挙に勝つために旧統一教会の投票および選挙運動のボランティアに「大きく依存している」という話もまた誤りである。自民党は2000万以上の票と、100万人以上の活動的な党員を有している。旧統一教会の信者はこの中のほんの小さなパーセンテージにしか過ぎないであろう。

最後に、自民党の政治家だけが旧統一教会の関連団体のイベントに参加したというのも誤りである。同じ敵対的なメディアが、イベントに参加した他党の国会議員たちの名前も挙げているのである。

何が真実かと言えば、安倍氏と彼の祖父である岸氏が共感を表明していたのは、宗教としての旧統一教会というよりは、日本における主導的な反共組織として出現していた国際勝共連合と呼ばれる教会関連組織だったということだ。それが反共の政治家たちに支持を呼びかけ、それに呼応して共産主義の脅威を懸念していた政治家たちが勝共連合を支持したのは驚くべきことではない。

それの何がいけないというのだろうか? 他のいかなる民主国家から見ても、日本の論争は非現実的で危険である。日本においては、現在、自民党と連立政権を構成している与党・公明党は、日本最大の仏教運動である創価学会のメンバーによって創設された。公式的には1970年以降は創価学会と分離されたものの、それは仏教運動と密接な関係を維持しているのである。その他の宗教団体が、リベラルな左翼カトリックも含め、自民党を声高に批判し、野党を支持する勢力として出現した。実際には、日本には100年にわたる「政教非分離」の伝統があるのであり、それに対する批判も常にあったのである。

民主的な社会においては、すべての市民が政治的討論に参加し、自ら選んだ政治家を支持し、特定の政党を応援するための運動を行う権利を有している。宗教を信じるものに対して、その他すべての市民に認められた権利を否定することは極めて非民主的であろう。教皇ヨハネ・パウロ2世と教皇ベネディクト16世は、学者や他宗教の指導者たちと同じように、「世俗性(secularity)」と「世俗主義(secularism)」の区別を強調した。世俗性が、多くの人が「神権的」と呼ぶ社会に蔓延する宗教的権威と政治的権威の混同を防ぐために必要であるのに対して、世俗主義は宗教の信者たちが彼らの信仰にヒントを得て、その他すべての市民たちと同じ権利と義務をもって、自由に政治に参加することを禁止しようとするイデオロギーなのである。

世俗主義の名のもとに、神を信じる者たちを政治的活動や公職から排除することは差別的行為であり、彼らが自国の生活と公共機関に参加する基本的な権利を剥奪することである。特定の不人気の宗教の信者を政治から排除している反民主主義国は少なくない。パキスタンがアフマディー教団と呼ばれる宗教的マイノリティーが投票したり公職に就いたりするのを阻止していることを、国際機構は正しく審査している(All-Party Parliamentary Group for the Ahmadiyya Muslim Community 2020, 42–4)。

旧統一教会およびその関連団体のイベントに参加した政治家を調査して糾弾することは、シンプルなメッセージを伴っている。それは日本においては、たまたま信者であった市民が民主的なプロセスに全面的に参加する自由と、自らの意思で選んだ宗教の指導者およびメンバーと相談したり協力したりする政治家の自由が、ともに危険にさらされているということだ。これらは自由権規約第25条によって保護されている自由である。

差別的世俗主義に陥った日本のメディア

メディアのキャンペーンに怯おびえて、構成員にUPFあるいは旧統一教会と協力しないように求める政党の行動も、また、自由権規約第25条に違反している。民主主義体制では、政党もまた、彼らの活動や声明において自由権規約を尊重する必要がある。

事実、日本のメディアの中には、政治家は旧統一教会のみならずいかなる宗教とも協力を禁じられるべきであると厳密に要求する、過激な声も一部に存在する。これは健全な政教分離ではない。それはイデオロギー的であり、反民主主義的であり、差別的な世俗主義である。

政治家が統一教会またはその他のいかなる宗教のイベントにも参加する権利、および議席や経歴を危険にさらすことなく、その支持者やボランティアの中に宗教者を含めることのできる権利を守ることは、同時にすべての宗教の信教の自由、ひいてはすべての日本国民の信教の自由を守ることを意味するのである。

(平和大使協議会発行「世界思想」2022年12月号から一部抜粋)

※注)記事中の数字等の情報はいずれも原稿執筆時のものです。


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