オタク・トラベル・マウント

 オタクとはマウントを取る生き物である。
いや、それは人類が社会性と引き換えに放棄した動物としての本能の一つなのかもしれない。オタクに限らず人とは本質的にマウントを取りたがる生き物であるが、社会性や常識――それは俗に人の目という概念で包括される――がその感情を抑え、マウントを取るのは恥ずべきことだという理性によって上書きされているのだ。
 しかし社会性を欠くオタク――かくいう筆者もまたその一人である――は、理性など欠片も持ち合わせていないので、平気でマウントを取りたがるのである。
 いや、その相手がオタク同士であればまだ救いはある。しかし往々にしてマウントの相手がオタクではない民間人(一般の人々という意味)にも及ぶことがあるのだ。
 そうなったらもう悲惨である。こうしてオタクは益々社会性を失っていくのだ。まぁ今日の主題はオタクの社会性ではないので、この話はここまでにしよう。

 こういうオタクは、その行動においてマウントを取りたがる。それは単純に金だけ積んで高級ホテルに泊まったりグリーン車に乗ってみたというだけでは不充分である。問われるのはどのようなトリッキーなテクニックを用いて予約したのかという技術の世界であり、ともすれば低コストでお湯がまともに出ないゲストハウスに泊まったなどの武勇伝のほうがよりマウントを取れたりする不思議な世界だ。

 ここで指すオタクというのは幾つかのクラスタに分類されるうちの一つにある限界旅行という領域のオタクを指す。その限界の指すところもまた多様性に満ちているが、概ね多頻度長距離の旅行といったところだろうか。
 こうした旅行経験を蓄積したオタクはろくな行動を取らない。
 それは民間人の感覚からすると観光もなく、休憩もなく、ひたすら移動を繰り返し、合間に聞いたこともない不思議な場所を巡るだけのとかく旅の主題に欠いた旅行として映る。いや、傍から見ている分には何かしらのエンタメになるのかもしれないが、少なくとも当事者になることだけは避けたい。そんな行動ばかりだ。
 そして金額や効率よりも手段で勝負のようなところもあるので、こういうクラスタが例えば東京から大阪へ行くのに東海道新幹線のぞみ号の指定席で移動しましたなんて話をしようものなら「ああ、貴方は東幹線(東海道新幹線をオタクっぽく呼んでマウントを取ろうとするが誰も使っていないので通じない独自の言い方)の単純移動しか出来ない弱いオタクなんですね」という無能の烙印を押されて終わってしまう。せめて京都からスーパーはくとで架線下ディーゼルしましたとか、国際線機材が入る羽田関空便を狙ってファーストクラスしましたくらいの工夫があって当たり前の世界なのだ。
(なお、この記事を大阪の超高級ホテル上級フロア朝食付きで執筆している私は、ホームライナー浜松3号と近鉄3日間フリー乗車券を駆使して首都圏から大阪へと移動した)

 そんなオタクたちのマウント合戦の一つに現地の振る舞いというものがある。この手のオタクは、どこに住んでいようとも平和堂とヨークベニマルのロゴをひと目で見分けるスキルが備わっており、玉出よりも関西スーパーのほうが平均的な商品価額が安い傾向にあることを一般常識と思い込んでいる。
 そういうオタクが好む行動が「現地の人と同じ行動を取る」である。なお蛇足であるがこの次のランクに「現地の人と勘違いされて道を尋ねられ、かつスムースに案内できる」というものがある。
(かくいう筆者は香港のセントラルをぶらついている時に、黒人の旅行者にアップルストアの場所を尋ねられた経験がある)
 つまり旅行者でありながら現地に溶け込むというのは、オタクにとってマウントを取れる取られるポイントとなるのだ。もし貴方がオタクではない人ならきっと理解が出来ない感覚だろう。

 こういう感覚をオタクは重視するが、往々にしてそれは悲劇の根源となる。貴方はオタクではない人と旅行に来ており、その人が「地元の人が行くようなお店に行きたい」と言い出した。もちろん旅行者としてのオタクの矜持を持つ貴方は、的確に店をセレクトしなければならない。
 しかし貴方はこのフレーズの真意を理解できるだろうか?
 正しい解釈は「地元の特産品を用いて、旅行に出た感じを実感出来る食べ物であるが庶民的な雰囲気も残っているお店で食べたい」である。
 地元の人も行くが、ちょっとした贅沢をしたいようなときに行くような美味しい寿司屋、とても並ぶので普段からあまり行くわけではないが嬉しいことがあったとき食べたいラーメン屋あたりだ。
さてオタクはこのフレーズを「地元の人が行く店に行く」と解釈する。すなわち学生街にある量が多い定食屋、とても安いローカルチェーンのうどん屋、下手をするとホテル近くのスーパーで半額惣菜を見繕ってきて終わりだ。
 実際のところスーパーの半額惣菜は本当に地元の人が普段から食べるようなものばかり置いてある。であればもし誰かと旅行に行った時、「地元の人が食べるようなものが食べたい」というリクエストに答える手段としては実は最適解であるはずだ。にも関わらず実際にスーパーの半額惣菜コーナーで満足するのはオタクばかりで、そんな提案をしようものなら次の旅行から貴方がハブられることは明白である。

 さて話を戻そう。
 地元の人になりきって思考をトレースし、どういう店が地元の人が喜んでいるかを考える。しかしスーパーの惣菜コーナーはオタクではない人にとっては攻め過ぎだ。ここまで状況を読んだ貴方は同行者の夢を叶えるためにリアリティという軸を持ち出した時、正解を見つけることが出来るだろう。すなわちロードサートに展開する全国チェーンのファミレスである。それは100円の回転寿司でもいいし、しゃぶしゃぶでもいいだろう。ハンバーグなども魅力的だ。しかし同行者の好き嫌いもあるかもしれない。
 すると選択は唯一つ。すたみな太郎である。
 すたみな太郎なら地元の人もよく行くし、多様な食材が自由に好きなだけ食べることが出来るので最適解であること間違いない。都心や観光地の店を避け、あえて郊外の安いチェーン店へ行くことで食費も抑えることが出来るので、予算的もプラスグッド(ニュースピークにおける良さを強調する表現(筆者はニュースピークを使いこなしているというマウント))である。
リアルに地元の人が食べている店で、貴方の同行者も高い満足度が理論上得られるはずである。
 しかし実際はそうはならない。
(ただし筆者は首都圏から熊本に旅行に行った際にかっぱ寿司で寿司を食べ、大変満足した経験がある)

 そしてまたこれはオタク同士の間でも決して高く評価される行動ではない。しかし、これらの全国チェーンのファミレスであったとしても地域限定ローカルメニューがあれば話は変わってくる。それは全国チェーンの店にローカルメニューがあることを知っているという知識マウントと、現地へ食べに行ったというアクティビティマウントの二重取りが出来るからだ。

 なお、結論を述べると例えメニューの内容がそこまで代り映えしないものであっても、その地方だけで展開しているローカルファミレスへ行くのがマウント戦略上の正解である。例えば静岡県における さわやか がその代表例として挙げられるだろう。
 ほんの些細な行動であっても全てをマウントの武器に変換すること。それはオタクの生存闘争における生き残りに必要なことであり、民間人とオタクの間に横たわる溝をより深める原因でもある。

 マウントを取るか「一般的な」旅行を取るか。そのいずれを選択するかは貴方の属性がオタクであるか否かということに縛られる。だがマウントを取り続けてその頂点たる「優勝」に辿り着いたとしても唯物的な何かを得られるわけではない。しかしそんな無益なことに価値を見出し、追求するからこそ我々は民間人と一線を画したオタクたりうるのであり、決して対価を求めて行っている訳ではない。

 本稿に接した読者諸氏も知恵を絞って筆者を目指した限界旅行に挑戦してもらいたい。だがその頃筆者は諸君らを遥かに超えるレベルの旅程を実現していることだろう(つまり筆者の優勝)。

生活が苦しい