かつて関西空港に閉じ込められた話

 たまには、少し懐かしい話でもしようか。
そう、これは3年ほど前の冬に私が実際に経験した、ちょっとした体験談である。

 私を載せたVIPの文字を図案化した鳳凰を尾翼に背負った飛行機は、ユーラシア大陸に向けて高度を下げていった。
衛星写真の如く眼下に広がる地形は、降下が進むにつれて航空写真からやがて展望台から見る風景に近づいている。飛行機の目的地、北京首都空港が近づいてくるにつれ、華北の大地の様子が克明になってくる。

「どうせ中華人民共和国はしょっちゅう行ってるから」と前回行った時に常日頃から人民元を外貨準備として保有しており、一通卡 、上海公交通卡にもチャージしてリスクヘッジは万全である。

 こうして幾度となく降り立った北京空港へのアプローチであったが、同行者はそうでもないらしい。機窓から見えた明らかに人為的に形成された一直線の小さな運河を指差し、「見てご覧、あれが長江だよ」と教えると、彼は「あれが名高い長江か」としきりに感心していた。そんな訳あるか。

 今回は取り立てて何か目的があっての渡航ではない。そこらへんに落ちているシェアサイクルに跨って颯爽と天安門広場を走り抜ける訳でもなければ、遼寧省から陸路国境で出国する訳でもない。ただ小腹が空いたので、中国にラーメンを食べに行ったのだ。それは本邦でいうところの高松にうどんを食べに行く感覚である。


 北京空港のうんざりするような入国審査を抜け、国内線に乗り換える。機体は天山山脈を超え遙か先、陝西省西安市を目指している。国際線ほどではないが、意外とボリュームのある焼きビーフンの機内食を食べたあと、おもむろに客室乗務員に「ワンモア!」とリクエストすると同じ食事がもう一度出てきた。然程上手いわけではないが、食えるものは食っておく。機内食をお代わりしながら2時間ほどの飛行の後、目的地へと降り立った。
空港からそのまま市内へ、西安駅へと到達する。
 私が訪問した2018年当時は、まだ地下鉄が西安駅付近に至るまであった。駅前を視察していると、フラフラと小汚いシェアサイクルに乗った中国公民が近づいてきた。よくよく見ると現地で合流予定のオタクであった。
オタクは海外旅行でも現地集合が相場であるが、天津空港経由でやってきた彼の姿は、誰が見ても立派な中国公民である。現地へ溶け込めているとは、これはポイントが高い。

 そうこうするうちに夜になった。日付も変わる直前に西安駅の改札を抜けると、プラットフォームには既に中国国鉄が誇る25G型客車が待機していた。瀋陽あたりから2日2晩かけて大陸を駆け抜ける大陸横断列車の2夜目が今晩の私の宿だ。深夜の西安の城壁を横目に列車は発車の合図もなく定刻になると静かに走り出す。
(中国の列車は出発時にメロディが流れたりすることはないのだ)
 翌朝、蘭州駅に降り立った小腹を空かせた我々は、市内に点在する蘭州ラーメン屋を片っ端からハシゴするだけハシゴして、そのまま西安へと新幹線でとんぼ返りしたのだ。
 低所得貧困層である我々は、予約サイトで見つけたウェスティン西安という随分な安宿に泊まるのが精一杯だ。なけなしの金でつけた朝食を執行すると、すぐに帰国の途につかねばならない時間だ。

 西安空港から東京へ。ここに選択肢が2つある。一つは途中上海浦東空港で乗り継いで成田空港へ降り立つルート、もう一つは北京首都空港で乗り継いで羽田空港に降り立つパターンである。
上海経由は、汎ゆる旅客動線が詰まり気味で職員の対応も悪い北京空港を回避できるというメリットがあるが、到着が不便な成田である。かと言って往路でも経由した北京空港を復路でも経由したいとは到底思わない。スカイアクセス線を使えば多少の距離と時間は伸びるが、京急線やモノレール使用時と極端な差がでるわけでもない。どちらのルートも出発時間と到着時間はほぼ同じだった。
 熟考の上で私が西安からの国内線を降りたったのは勝手知ったる上海浦東空港だった。上海も幾度となく訪れたことがある場所だ。まごつくこもなく無事に中華人民共和国の出国手続きを完了し、残り少ない時間で免税店やらの視察を終え、成田行きの飛行機へと搭乗する。

 到着地東京ではどうやら大雪が降っているらしいが、飛行機の発着は今の所通常通りの様子だ。いっそ今の時点で止まってくれれば、上海を観光する時間が出来るのにと思いながら、東京へと向かう機材に搭乗した。

 さて、ようやく本日の主題である。
 我らを載せた機材は順調に飛行を続ける。黄海からまっすぐ日本の領空に入ると国内線でもお馴染みの四国から中部空港をかすめるといういつもの航空路に入った。
 相変わらず機内食を3食お代わりをし、燕京ビールを飲みながら旅の終わりを噛み締めていた。機窓には大きな月が出ている。旋回中なのだろうか。月は右から左へとゆっくりと動いてる。個人用モニターが無い機材故、今がどこなのか正確にはよく分からないが、三宅島の上空辺りで大洗へ向けて変針でもしているのだろう。
 そろそろ降下も始まる頃合いだ。帰りの成田エクスプレスだがスカイライナーだかに間に合うだろうかと心配しながら、大洗の明かりが見えるだろうかと機窓に目をやるとゆっくりと月が右から左へと流れていった。

 ふむ、全く同じ景色を先程も見た。
 つまり、これはどういうことだ?
私はおもむろにiPhoneのコンパスを起動させた。針はぐるぐると回転を続けている。つまりは周回コースに入っているということだ。そして到着予定時間が近い割に着陸のアナウンスが無い。
 なるほど、私は理解した。
どうやら成田空港がクローズしているらしい。

 私は連番しているオタクに告げた。
「どうやら・・・・・・我々は成田に降りれないようだ」と。
みなある程度知識に関する知識がある連中だ。
 出発前の情報、下がらない高度、一定しない針路。時間だけが流れていく中で言葉を多く語る必要はなかった。
 そのうちおもむろに針路が西を向き出した。
そして飛行機の向きが逆になったまま、しかしアナウンスも何も流れない。

 そろそろ着陸予定時刻になる頃合いだろうか。
我々の興味はすでに成田に降りれるか否かではなく、どこに降りるのかに移っている。
 とは言え、時間も時間だ。中部空港と関西空港の二択しかないだろう。
地上設備を考えると、いっそ関空のほうがいいか、それとも何かしらの振替が期待できるのか。
 やおら議論を白熱させていると、前の席の民間旅行者が不安げに「もしかしてこの飛行機は成田空港に到着しないんですか?」と訊ねてきた。
 私は快活に「これは間違いなくどっか別に降りますね。すでに飛行機は西へ向かっていますよ」と告げると「どうして皆さんは、この状況でそんなに明るいんですか?」と至極まっとうな疑問をぶつけられた。

 やがてベルト着用サインが点灯する。飛行機はゆっくりと高度を落としていく。実のところ、まだ機内にアナウンスは流れていない。多くの罪のない旅客たちは、飛行機がようやく成田空港に向かって高度を下げだしたと無邪気にも信じているのだろう。
 眼下に見慣れた夜景が広がっている。
円弧を描くように市街地の明かりを遠くに眺めながら、眼下に大きな島らしきものも見える。
 そう、どこまでも見慣れたこの風景は、―――――大阪湾だ。
フラップが開き、飛行機は洋上に設けられた人工島の滑走路へとアプローチを続けている。
 翼よ、これが成田の灯りか?
旅客各位。諸君らは成田空港がいつの間にか海の上に移動していたと言われて受け入れることは出来るのだろうか。

 ともあれ我々を載せた成田行の飛行機はこうして関西国際空港の地を踏んだのである。時刻は日本時間で23時丁度。本来の成田着から2時間、距離にして約700kmほどずれた場所で、祖国に帰ってきたのだ。
 滑走路に降り立った機材は、果たして誘導路で立ち往生していた。その間に中国語と英語でアナウンスが入った。それは関空で一晩を明かし、翌日正午に離陸するという航空会社の温情であった。タラップ車が横付けされ、飛行機を降りるように促される。客室乗務員がSee you Tomorrowと挨拶してくれた。

 1月の関空の空気は澄み切って、とても冷え込んでいた。
そんな我々はせっかくの記念だからと飛行機をバックに笑顔で写真に収まったりした。周りの疲れた顔をした人々が、そんな陽気に振る舞う我々を怪訝な冷たい目で見ていたことを私は今でも覚えている。

 入国は成田空港で行うらしい。飛行機から降ろされた我々は恐ろしく手際の悪い入管の手続きを経て、関西空港の到着エリアから出発エリアへと移された。当然、入国できていないので出発ロビーをこれから12時間ほど彷徨わなければならない。
 一切れのパンケーキと1本のペットボトル、1枚の毛布を受け取りあとは自己責任となる。
 とは言えガラガラの出発ロビーで待機場所に困るようなことはない。
好きなベンチで横になればいいのだ。毛布があれば、それは人権があるということの他ならない。
かくしてさっくりと出発ロビーに幽閉された関空のトム・ハンクスの出来上がりである。
 残念なのは、そこにはドラマもロマンスもなく、ただただ行き先に困ったオタクと、Twitterを通じて画面の向こうからニヤニヤと眺めるだけのオーディンスがいるだけのつまらないコメディがあるだけだ。

 翌朝になってどうやら朝食券が配られるらしいとの噂が入ってきた。話半分で重慶便の出発手続きを行っている搭乗口へ向かうと、どのレストランでも使える1000円分のクーポン券を手に入れた。
冬の遅い日の出も拝み、8時前にもなってくると徐々に出発客でロビーがにわかに混みだしてきた。

 私はおもむろに所属する組織へと電話を入れた。
「はい、帰国はしましたが、入国できていません。はい、今は関西空港にいますが、入国してないので出られません」
今日は来なくて良いと言われた。(有休扱い)

 9時をまわり、オープンしたカードラウンジでソフトドリンク乞食などをしながら時間を潰してようやく
 正午になり、出発の時間が近づいてきた。
指定された搭乗口(バスボーティング)に向かうと、我々を載せた上海便の他に、成都から来た便も関空に着陸していたようだ。総勢400名ほどのソンビのような難民が群がっている。

 バスに押し込められるように移動した先には昨晩そのままの飛行機と、昨晩そのままの乗務員が待っていた。飛行機に乗ると、小さなロールパンと紙パックのジュースが配布された。昨晩のホットミールとは雲泥の差だ。
このパンを齧っている間に更に1時間ほど出発が遅延していたが、例によってアナウンスはない。
こっそりとフライトレーダーの情報だけが更新されていた。

 13時になり、飛行機はようやく成田空港を目指して動き出した。
さらば関空よ。こんな形では二度と来たくないが、翌週末の関空着ジェットスターの航空券を握っているので、実に1週間ぽっちの別れだ。

 飛行機はぐんぐんと高度を上げる。流石に関空から成田程度では、さほど大した時間がかかる訳でもない。国内線のようで国際線という不可思議なフライトではあったが、そこは通いなれた航空路。特に目ぼしいなにかがあるというわけでもなく、15時過ぎには無事に成田空港へと着陸した。

 そして成田空港の誘導路で立ち往生することさらに1時間。ようやく所定のダイヤから遅れること18時間で成田空港から入国し、ここにすべての旅程を完了したのである。

 2021年の正月に、新千歳のトム・ハンクスとなった名も知らない誰かに思いを馳せながら―――

(終わり)

参考文献

https://togetter.com/li/1192681

生活が苦しい